上沼恵美子(65)が司会を務める人気番組『怪傑!えみちゃんねる』が最終回を迎え、25年の歴史に幕を閉じた。その最後はあまりに唐突で、悲しい。

 複数の週刊誌やスポーツ紙に報じられたのは疾走感あふれる終劇。同番組の収録中、レギュラー出演者のキングコング梶原雄太に突然のノンストップ毒づきをくりだし、スタジオを凍りつかせ、なぜか梶原は降板に。数日後にスタッフが設けた話し合いの場で、「辞めてやる!」と吠え、ジ・エンド。番組終了の運びになったのだという。

 1000回以上も続いた人気番組がいきなり『笑いと涙の最終回スペシャル』もなしに終わるとは。このままほかのレギュラー番組(『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』など)もどんどん終了し、引退するのでは? といった報道まで巻き起こっている。なぜ彼女は『えみちゃんねる』をやめてしまうのか。そして、引退まで取りざたされているのか……。

 そんな上沼がかつて“芸能界引退”についてしばしば語っていたのが、雑誌『婦人公論』。

 この老舗雑誌には毎号、著名人が人生観、仕事観、本音や葛藤などを赤裸々に語るページがある。普段はどんなに口が悪いタレントであろうとも、誌面に登場すれば途端に丁寧な語り口調になるのが特徴だ。“しっかりマジメなことも語る”系媒体といったところか。上沼はかつて、この『婦人公論』に何度か登場し、自分語りをしている(彼女の場合はもちろんユーモアたっぷりな毒舌入り)。

家庭のストレスを番組で発散

 上沼恵美子は1971年に海原千里・万里としてデビューし、天才漫才師と呼ばれるもわずか6年で解散。22歳の若さで8歳上の関西テレビのディレクターと結婚したタイミングで芸能界を一度引退しているのをご存知だろうか。夫に「仕事をやめるのが結婚の条件」と言われ、その通りにしたという彼女の古き良き昭和の女性っぷりをみせた。

雑誌『婦人公論』(Amazonより)
雑誌『婦人公論』(Amazonより)

《仕事に未練はまったくありませんでした。ほとんど腰掛けみたいな気持ちでしたし、彼との結婚を思い描くとバラ色の人生が見えてねぇ》(2002年)

 しかし、現実はバラ色とはいかなかったようだ。22歳で出産、育児に追われるなか、同居している“波長の合わない”姑からの小言に、家事に非協力的な夫。橋田壽賀子の脚本かってくらいの追い詰められっぷりに、彼女は28歳で“外に出る”ための手段をとる。そう、芸能界復帰だ。

《復帰を決意した理由ですか? それはもう「自分の世界が欲しかったから」ですよ。それにお小遣いも欲しかったし、家を抜け出したかったし》(同前)

 暇を持て余した主婦がパートを始めるかのごとき発想だが、それで大阪地区の長者番付で1位に輝き、大豪邸を建てるほどの“お小遣い”を稼ぐのだからやっぱり実力は凄まじい。とにかく、「芸能界に未練があった」といった理由でなく、単に“ずっと家にいるのが息苦しい主婦”としてまた芸能界に舞い戻ってきたのである。

 そこからは自ら“本業”としている主婦業をこなしつつ(姑にイヤミを言われ続け1日14回泣いたこともあったとか)、家庭でのストレスを発散するかようにテレビで夫や姑へ不平不満をぶちまけるスタイルが大阪のオバちゃんたちに大ウケ。圧倒的な支持をもって受け入れられる“主婦の代弁者” 的存在に。家の外で喋り倒すことでデトックス効果を得ようとすることについては本人も自覚的だったようで、

《もうひとつ、ほんとのことを言うとね、ギャラもらいながらストレス発散させてもらってます。というか、そういう仕事しかしないようにしているんです。ずるいですけど》(同前)

 つまり、彼女にとって仕事とは家庭を円満にするためのツールだったのだ。しかし、これが後に関西の女帝と言われ、「番組を私物化している」とまで報じられる土壌を築いたのかもしれない。馴染みの深いスタッフ・好みの演者たちで周りを固めたといわれている“自分の世界”。次男が構成作家を務めているというのもまたしかり。ただ、そんな環境を“オモロさ”ひとつで整えられるというのだから、やはり只者ではない。

 そこまでの実力を持ちながらも、芸能界に対する執着のなさは相変わらずで《主人があと5年で定年なんですよ。それで足並み揃ったら私も仕事をやめて、夫婦でハワイに移住するつもりです》(同前)と、再引退宣言もしていた。