北京五輪で“魂の413球”を投げ切り、悲願の金メダルに沸いた興奮と感動から12年。TOKYOで躍動するピッチング姿は1年先に。10代から日本代表で活躍したが、決して順風満帆ではなかったソフトボール人生。絶対的エース、チームの大黒柱の紆余曲折に迫る―。

 

ネットニュースで知った東京五輪の延期

 38歳の誕生日となる2020年7月22日。本来であれば、福島あづま球場でのソフトボール日本代表対オーストラリア(豪州)代表戦を皮切りに、東京五輪が華々しく幕を開けていたはずだった。

 絶対的エース・上野由岐子選手(ビックカメラ高崎)は世界が注目するマウンドに立ち、2度目の金メダル獲得への大きな1歩を踏み出していたに違いなかった。

 しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって世紀の大舞台の1年延期が決定。その後の世界規模での感染爆発によって開催自体も危ぶまれている。

 前代未聞の事態に対するアスリートたちの受け止め方はさまざまだ。

「1年後が見えない」と、7人制ラグビー挑戦を断念した福岡堅樹さん、現役を退いた女子バレーボールの新鍋理沙さんらがいる一方で、今夏の引退を表明していながら競技続行を決めたスポーツクライミングの野口啓代選手のような人もいる。

 そんな中、上野選手は迷うことなく五輪挑戦を決意。緊急事態宣言下の自粛期間を含めた4か月間、本拠地の群馬県高崎市で地道なトレーニングに励んでいた。

「1月までは、ごく普通に代表合宿に参加していたんです。コロナといってもそこまでではないだろうという気持ちもありました。でも2月~3月になって、これは完全にヤバイという感じになり、3月24日に延期が決定した。その一報はひとり自宅でネットのニュースで見ました。

 最初は“あと1年頑張らなきゃいけないのか”と思ったけど、“むしろ、もう1年やらせてもらえるのは感謝かな”と。“時間的猶予が生まれたおかげで、これだけのパフォーマンスができた”って言えるようになりたいと今は考えています

 '08年北京五輪ではラスト2日間で413球を投げ、頂点に立ち“神様・仏様・上野様”とさえ言われ、すでにひとつの大きな達成感を得ているはず。にもかかわらず、再び金メダルを目指そうという原動力は一体、どこにあるのか……。

 最大のエネルギーになっているのが、日本代表を率いる宇津木麗華監督の存在だと彼女は言い切る。

「麗華監督は親でも親戚でもないのに、自分に尽くしてくれる。自分のことをいちばんに考えてくれるんです。麗華監督と出会っていなかったら、ここまでソフトボールを続けることもなかった。だからこそ、恩返ししたい。熱い思いに応えたいという感情が湧いてくるんです」

 麗華監督は「正直、五輪延期でショックを受けたのは私のほうです」と明かす。

「でも上野は問題ない。1年くらい五輪が延びたからといって、実力が落ちるわけじゃないし、まだまだ伸びると思います。上野を超えるピッチャーはそう簡単には出てこない。彼女を中心に戦っていくのは変わりません」と、大きな信頼を寄せている。

 恩師と二人三脚でチームを押し上げ、再び成功をつかもうとしている上野選手。

 その生きざまを追った。