天皇陛下から芳恵にバラのプレゼント

 なかでも、'83年にリリースした中島みゆき作詞・作曲の『春なのに』は「春なのに お別れですか」という哀しい歌詞とマイナー調のメロディー、服部克久によるオーケストレーション、何より切ない恋心を芳恵が繊細に表現することで多くの共感を呼び、累計売上げ38万枚以上の『ハロー・グッバイ』に次ぐ大きなヒット(累計33万枚以上)となった今でも春先になると音楽配信やカラオケなど各チャートで上昇する卒業ソングの定番となっており、まさに“記録と記憶のヒット曲”といえるだろう。

 ちなみに、中島みゆきが作詞・作曲の両方を手がけた楽曲でもっとも多くTOP10級のヒットを出したのは、研ナオコでも工藤静香でもなく、柏原芳恵だ(『春なのに』『カム・フラージュ』『最愛』『ロンリー・カナリア』の4作)。

 その後、'85年9月には当時19歳にして不倫ソング『し・の・び・愛』を歌ってオリコンTOP10入りを果たし貫録を感じさせたが、それを先輩格だった高田みづえの結婚披露宴で「抱いて抱いて抱きしめて」と色っぽく歌ったことは衝撃大。いくらプロモーションの時期とはいえ「なぜ結婚式で歌うのか。まるで高田の夫・若島津の愛人かと誤解されるのでは……」とハラハラしつつ、その肝の座り方には感心したほどだ。

 '86年秋には、かねてからファンを公言されていた浩宮徳仁親王(現・天皇陛下)がリサイタルで芳恵に一輪のバラを贈られたことも大きな話題に。'87年にはレコード会社移籍第1弾としてリリースした『A・r・i・e・s』をジュディ・オングばりの白い孔雀風ドレスを着て熱唱していたので、いつかジュディとの共演などがあれば、おもしろい気もする。

 最後に、2人のシングル総売上げを比較すると奈保子が約430万枚、芳恵が約350万枚(オリコン調べ、デュエット作を含む)。いずれも400万枚前後だが、奈保子はアルバムセールスも200万枚以上とアルバム・アーティストとして高く評価されたのに対し、芳恵は有線リクエストで『ハロー・グッバイ』『春なのに』『カム・フラージュ』『最愛』の4作が年間TOP100入り。その光と影の双方を感じさせる歌声が街中に浸透していったと考えられる。

 奈保子は'96年の結婚、翌年の出産を機に芸能活動を休みつつも、'06年に彼女らしい優しいメロディーのピアノ・インストゥルメンタル集『nahoko 音』を発売。さらに'12年には彼女の真骨頂であるライブビデオをDVDで復刻し、週間TOP30に5作も同時ランクインと、人気絶頂だったAKB48に並ぶ記録を打ち立てた。また、'16年には写真集『再会の夏』が現役勢に交じって週間TOP5入りをするほどの人気。その純粋なキャラクターは、平成のアイドルファンをも釘付けにしているのかもしれない。

 芳恵のほうも、'90年代はビデオや写真集を多数発表しつつ、'00年代から再びオリジナルシングルやカバーアルバム3作を発売。切なく甘い歌声は健在だ。'20年には本人作詞のデビュー40周年記念シングル『KU・ZU~ワタシの彼~/ A・RU・KU』を発売し、10月には40周年記念コンサートも予定。今なお現役歌手として活躍している。

 このように、奈保子と芳恵は聖子ほど目立った脚光は浴びないながらも、その愛されぶりはとても高く、音楽シーンにおいてもそれぞれの個性を発揮し、“実力派”と呼ぶにふさわしい活躍を見せた。昭和ポップスが見直されている昨今、テレビで見かける以上に多くの実績を残したといえる2人の楽曲を今一度、楽しんでみては? きっと、新たな魅力に取り憑かれるはず!

(取材・文/音楽マーケッター・臼井孝)