日本を代表するトップアイドルとしても活躍した小泉今日子が、舞台や映画、音楽ジャンルにおけるプロデューサーとして、新たなキャリアを積み上げている。

小泉によるプロデュース業の特徴は

 小泉は2016年に株式会社明後日を立ち上げ、同年に舞台『日の本一の大悪党』で初めて、演出及びプロデュースを担当。それ以降は女優業、歌手業を一時休止し、こういった制作業に取り組んでいる。

 '18年9月には俳優の豊原功補らと映像制作プロダクション・新世界合同会社も設立。「映画を通して、総合芸術、娯楽作品においてもその本質を問い、これからの文化を担う世代に引き継げる、より純度の高い映像作品を追求したい」(同社HPより抜粋)というスローガンを掲げた。

 その言葉どおり、8月28日より公開される同社製作の映画『ソワレ』は、決してメジャー大作ではないものの、和歌山を舞台にした地域性と、今を生きる若者たちがもがきながらも前進するというメッセージ性の強さがあり、キャストとスタッフには気鋭の俳優、クリエイターをそろえた意欲作。まさにスローガンを実践した映画だ。

 メガホンをとったのは、短編映画『春なれや』('16年)などで人物感情が行き交うさまを繊細に映し出し、また、現代社会の問題点も組み込んで物語ってきた外山文治監督(新世界合同会社の設立メンバーのひとりでもある)。

 主演は村上虹郎芋生悠(いもうはるか)。村上は昨今、若手のなかでも引っ張りだこの実力派俳優だ。一方の芋生は、まだ広くは知られていないが大注目の役者。筆者はインディーズ映画の製作、宣伝に携わることも多いが、芋生はこの2、3年、若手俳優をキャスティングする際には頻繁に出演候補に名があがる、まさにネクストブレイク候補だ。最近でも『JKエレジー』('19年)、『37Seconds』('20年)といった骨のある作品に出演。小泉は'19年にプロデュースした舞台『後家安とその妹』においても、芋生を出演者として抜擢(ばってき)している。

 ここまで記述して、小泉のプロデュースワークの特徴としてピンとくるものが2つある。第一に、カウンターカルチャー的かつインディペンデント精神にあふれた作品づくりを行っているところ。次に、メジャー的な知名度は関係なく、可能性を秘めた若手俳優やクリエイターたちを積極的に起用し、浮上させるようとしているところだ。

 今回は、小泉のアイドル時代から近年までの言葉や足どりを振り返りながら、どのあたりに「制作者としての小泉今日子」の糸口があるか探っていきたい。

 まず、小泉の経歴を簡単に振り返ろう。'81年、15歳でオーディション番組『スター誕生!』に合格。翌年、楽曲『私の16才』でアイドル歌手デビュー。同期には中森明菜、堀ちえみらがおり「花の82年組」と呼ばれた。'84年には、シングル『渚のはいから人魚』が大ヒットを記録し同年、NHK紅白歌合戦に初出場。以降ヒット作を次々と放ったほか、女優としてもテレビドラマ『あんみつ姫』('83年)、『愛しあってるかい!』('89年)、『あまちゃん』('13年)、映画でも『風花』('01年)、『グーグーだって猫である』('08年)などの話題作に出演。“キョンキョン”の愛称で親しまれ、今もなお、芸能史を代表する人気タレントのひとりだ。

 小泉のアイドルソングのなかで印象的なのが、音楽シーンのアンセム(代表曲)にもなった『なんてったってアイドル』('85年)だ。私生活ではバレないように変装していても、少しは気づかれたいという承認欲求とのせめぎ合い。恋愛スキャンダルがあってもトボける様子。年をとらずにずっとチヤホヤされたいと願う素直な感情。そういったアイドルの生態を歌詞にちりばめ、「なんてったってアイドル」という言葉に集約させるおもしろさ(作詞は秋元康)。

 加えて「インタビュー(取材)があるならマネージャーを通して」と、歌詞中にアイドルを作り上げるオトナの存在をちらつかせるところが、アイドルソングとしては異色的だった。当時のアイドル界の先端をいっていた小泉が、この内容を歌唱するすごさ。