孫のUTAの手を引いて
晩年、「全身がんだらけ」と公表していた希林さんだったが、義姉もまた同じ病で闘病生活を続けていたそう。そんな義姉を、希林さんはわが身を差し置いて気にかけた。
「叔母が“いい先生がいる”と鹿児島にある治療院を紹介してくれて、連れて行ってくれたんです。そのおかげで、母のがんは手術もせず完治。だから、母は叔母が亡くなったときはガックリと落ち込んでしまってね。“私だけ生き残っちゃった……”って小さな声で寂しそうに。叔母は母のことを“お姉ちゃん! お姉ちゃん!”と慕ってくれていたので……」
しかし、希林さんを偲ぶ一周忌の法要は行われなかった。この三回忌も、親族が集まる予定はないという。「それが家族の考え」なのだとか。
「一周忌のときは也哉子さんと手紙でやりとりして、ウチからはお線香だけ送りました。三回忌も家族でささやかにやるみたいです。法要のかわりというわけではないんでしょうけれど、春先に也哉子さんから叔母の本が送られてきましたっけ」
少しだけ寂しそうに語った不二映さんには、忘れられない思い出の光景がある。
「亡くなる1年くらい前でしたか。孫の雅樂くんをこっちに連れて来たときのことで」
希林さんにとっての初孫、也哉子と本木夫妻の長男・雅樂。“UTA”名義でモデルとしてパリコレにも出演した身長195センチのイケメンだ。
「彼がバスケットボールでひざをケガしたそうで。その治療院を叔母が紹介して、その帰りに私と叔母と雅樂くんの3人で外で食事をしたんです。びっくりしたのは帰り、駅まで見送ったときです。駅前の大通りの横断歩道に差しかかると、スッと雅樂くんが叔母に手を差し出したんですよ」
希林さんは差し出された孫の手を握った。
「ふたり仲よく手をつないで、横断歩道を渡って電車に乗って帰っていきました。なかなか若い男の子にはできないことだと思うんですけど、すごく自然にね。“普段からこうしてるんだな”って感動しちゃって。このときばかりは、あの叔母もごく普通のおばあちゃんに見えました。叔母の本当に幸せそうな笑顔と、ふたりの後ろ姿が忘れられないんです」
店内には希林さんの写真と、彼女が自らしたためた色紙が今も飾られている。
「その写真を見るたびに叔母のことを思い出すんです。いつも見守ってくれている気がするの」
希林さんは、今も、大切な人たちの心の中に─。