陰日向のない、人見知りもしない元気な子
4歳になると、「蜜を搾る」方法も教わった。花の蜜を吸ったミツバチは、体内に蜜を蓄え巣に戻る。その蜜は口移しで巣の中の働きバチに渡され、巣房に貯蔵されていく。巣房に蜜が貯まると、働きバチは微生物の混入を防いで蜜を熟成させるため、巣に蓋をする。
この「蜜蓋」をナイフなどで切り落として蜜を出し、遠心分離機にかけて蜜濾し器で不純物を取り除く。これが「蜜を搾る」のに必要な一連の作業だ。
子どものころから、父や祖父に専門性の高い仕事を教えられた栄太さん。西垂水家では、山や仕事場で過ごす濃密な時間がそのまま家族の思い出にもなる。
2代目の父、栄作さん(47)は幼い息子がやらかしたいたずらをちゃんと覚えていた。
「あぁ、バッテリー事件ね! なんせ山の中だったから大変だったよ(笑)。栄太が小さいころは連れて回ったからなぁ。うちは上から栄太、潤、桜と子どもが3人いてね。夏休みといえば、みんなで北海道」
毎年夏、一家が北海道の拠点にしているのは、美深町の恩根内。町面積のほとんどが森林という恵まれた地だ。ここでの蜜採りは家族総出でも手が足りず、地元の人に手伝いを頼むのが恒例になった。
1年のうち数か月を恩根内で過ごす一家の存在はやがて町の人に知れ渡った。栄作さんも自分たち家族を知ってもらう努力をしたと言う。
「俺も20代だったから、手伝いに来てくれた人と飲みに行ったり、そこで町の顔役と知り合いになったりしてね。夜、『バーベキューやるべ』なんて集まったり、家族みんなで祭りに参加させてもらったり。本当に仲よくしてくれたんだよね」
農業が盛んな恩根内には、4月から12月頭の農繁期のみ開いている保育園があった。そこで先生をしていた谷みどりさん(61)は、小さいころの栄太さんを預かっていた縁で、今も交流がある人物。
「見たままのとおり、陰日向のない元気な子でね。人見知りもしないから、町で栄太のことを知らない人はいないぐらい。よーく、悪さもしてたけどね(笑)。ここらで生まれたみたいなもんなんだから、『こっちで奥さんをもらって、所帯を持ったら?』って言ってるの。私もみんなも子守りしてあげるからって(笑)」
栄太さんの存在が町の人に認識されてゆくなか、父・栄作さんは恩根内の小学校から、青天の霹靂(へきれき)の提案を受けることになる。
親元を離れ、「町の子」として成長
実は栄太さん、親元からひとり離れて、恩根内の「町の子」として育てられた時期がある。小学3年から5年生になるまでの3年間、美深町でホームステイをしていたのだ。その背景には、恩根内小学校(現在は廃校)の苦境があった。当時の話をしてくれたのは、教頭を務めていた奥山亮枝さん(66)。
「恩根内小学校は2学年合同の複式校で、歴史も古いんです。だけど、過疎化と少子化で、あと1人、生徒がいないと、先生が2人減らされてしまう状況でした。そこで、校長が『栄太に来てもらおう』と言いだして」
毎年、夏休みにやってくる西垂水一家。ならば、栄太さんだけ、ひと足早い4月に北海道入りしてもらい、恩根内小学校に入学してもらえないかと期待を寄せられたのだ。
この地域では、小学校の運動会になると町中の人が応援に駆けつけ、学芸会となれば、老人会も参加して詩吟を披露する。いわば、小学校が地域コミュニティーの要として、重要な役割を担っていた。