全校生徒わずか16人の小学校

 奥山さんは切実な思いを、栄作さんにぶつけた。

ご両親にお話しする前に、PTAや自治会も一緒になって、どうしたら栄太が気持ちよく過ごせるかを話し合いました万全を期してお父さんにお話ししたら、まずは、じいちゃんに話してみますそれからほどなくして、ご快諾いただいて

 もともと、家族が養蜂の仕事をしている間、町の保育園に預けられていたこともある栄太さん。地域の同年代の子どもとはほぼ顔見知りだという気安さもあった。

 とはいえ、栄作さんに迷いはなかったのだろうか?

「迷ったっていうか、まず家族会議だよね。『山村留学みたいなもんだ』と言っても、じいちゃんもばあちゃんも、『かわいそう』『人様んちに子どもを預けるなんて言語道断』と大反対。お母さんにも、『地域や学校を助けたいのはわかるけど、自分もやってこなかったことを、なぜ子どもにさせるの?』と言われて、葛藤はありました。

 けど今は、栄太にとっていい経験になったと思うし、行かせてよかったと思っています。当時、栄太が『僕、行ってもいいよ』と言ってくれたのも大きかった。もし、イヤだと言ったら絶対に行かせませんでした」

ギャラリーには小学校の思い出の写真が展示されている 撮影/伊藤和幸
ギャラリーには小学校の思い出の写真が展示されている 撮影/伊藤和幸
【写真】鹿児島→北海道の3600キロの移動を終え、大量の蜜箱を下ろす一家の一場面

 4月。入学式を前に、旭川空港に降り立った栄太さんは、残雪に目を奪われた。夏の北海道しか知らない鹿児島の小学生にとって、初めて見る雪は長年憧れていた存在。

「なんせ物珍しくて。鹿児島の友達にも自慢しました。『雪触ったぜ』『えっ!?  雪合戦したの?』みたいな」

 全校生徒わずか16人の小学校。それでも恩根内での日々は、毎日が楽しかったという。当時を知る1学年下の高原陽樹さん(24)は語る。

「栄太君に会ったばかりのころは訛りがすごくて、何を言ってるのかわからないことも。例えば、栄太君は自分のことを『おい』と言っていたのですが、僕は自分が呼び止められたのかと勘違いしたり。けど、それもすぐになくなりました。

 栄太くんはムードメーカーで、みんなに話しかけて面白い話をしてくれるんです。小学生のときは、常に笑っていました」

 標準語の「すごい」が鹿児島では「わっぜ」に、北海道では「なまら」になる。そんな方言の壁も、いつの間にかなくなった。仲よくなったふたりは、放課後になると全校生徒と一緒にボール遊びに興じ、夜になると自転車で再集合。街灯に集まるカブトムシやクワガタをとりまくった。

「釣り道具を持って、先生と川や沢に出かけ、ペットボトルの罠でザリガニを捕まえたこともあります。先生が『自衛隊が近くに橋を架けるみたいだから』と授業を中止して、みんなで見に行ったこともありましたねぇ」(栄太さん)