人の家と本当の家族は違うということ
当時、ホストファミリーとして栄太さんの生活を支えたのは、白菜や麦などを栽培する農家の庄司村尾さん(62)と珠恵さん(55)ご夫妻。
「いやー、教頭の家で鍋をご馳走になったのがいけなかった(笑)。何も知らずに呼ばれて行って、たらふく飲まされたところで、『栄太をお願いできないか?』と頼まれて」(村尾さん)
その場で快諾した村尾さんだが、食べ盛りの子どもを預かることになった珠恵さんは気が気ではなかった。
「うちは農作業のお手伝いに来てくれる人用の休憩部屋もあるし、3人子どもがいるからひとり増える分にはかまわないんだけど、好き嫌いやどれぐらいの量を食べるのかって大事なことじゃないですか。遠慮があってもいけないし、そこは何度も聞きました。
そういえば栄太の好物だからと、ご実家から空豆を送っていただいて。北海道にはないものだから『これ、どうやって食べるん?』と聞いたのを覚えています。翌年から自分で育ててみようと種を買って植えたんだけど、寒くて実がならなくて。今なら気温も変わってきてるから、いけるかもしれないね」(珠恵さん)
いわばよその家の子、栄太さんのために日々お弁当を作り、北海道にはない好物を種から育てる──。なかなかできることではない。
「ここらは、みんなそんな感じです。かくいう私も新規就農で平成元年に山形からこっちに来たクチで」(村尾さん)
毎年、新規就農者が1、2世帯入ってくるというこの町では移住者が珍しくない。世話焼きの人も多いため、自然とフレンドリーなコミュニティーが形成されていくという。
栄太さんが恩根内の町の子として過ごすようになって3年。最初の年は心配した母と祖父がいつもの年より早く北海道入りしたため、3か月ほどで終わったホームステイは、2年目、3年目と時間がたつにつれて長くなり、ついにはひと冬を過ごすほどに。町の救世主となった栄太さんに、前出の奥山さんは著しい成長を感じ取っていた。
「その年ぐらいの子どもって多感じゃないですか。最初はウチに遊びに来て大騒ぎして、タンスをひっくり返したりしていましたけど(笑)、1年ぐらいで引くことや我慢することを覚えましたね。本当は寂しいときもあったでしょうけれど、私たちの前では1度もそんな姿を見せませんでした。すごいなぁと思います」
当の本人に当時の心境を尋ねると「布団をかぶって泣いたこともあったかな?」と笑う。
「みなさん、とてもよくしてくださったんですけど、人の家と本当の家族は違うということが、その年にして身に染みたというか。それまで、よくも悪くも甘やかされて、自分が中心で当たり前と思っていたんです。人様に迷惑をかけちゃいけないとか、引くことを覚えたのは、この経験があったからこそだと思います」