優秀なライバルの出現に焦り
楽しい小学校生活は飛ぶように過ぎ去っていった。思春期を迎えた栄太さんは、徐々に家業を継ぐことを意識するようになる。
「父から『家業を継いでほしい』と言われたことはないのですが、祖父や祖母から、『継いでくれたらいいよねー』みたいな希望は聞かされていました。
洗脳じゃないですけど、じゃあ継ぐかなーみたいな感じで、高校生のころには蜂屋になろうと思っていましたね。小さいころから祖父にいろいろ教わって、蜂が大好きだったし、何より新しい技術を吸収することが楽しくて」
小学生のころにはすでに、餌やりや女王蜂の交尾の確認を任されるようになっていた。高校生になるとさらに専門性の高い仕事まで任されるようになり、わからないことは自分なりに考えて対処法を見つけ、それがピタリとハマるようになった。
「そうなると楽しいんですよね。専業の先輩方と専門的な話ができるのも楽しかったし、『そんなことまで知ってるの?』『若いのによく知ってるね』なんて言われようものなら、心の中でヤッホーイ! です」
やがて、地元の鹿児島国際大学に進んだ栄太さんは、地域創生を専攻。経営学も学び、充実した学生生活を送る。一方で、大きな転機となる出来事もあった。ひとつ年下の佐賀から来た青年が、西垂水養蜂園に弟子入りしたのだ。
「その子は大親方と親方からすべてを吸収しようという情熱の持ち主。それまでは、いずれ跡継ぎになるし……と必死さはなかったんです。ところが初めて『このままじゃ抜かされる』と焦りが出て……。実際、技術面の知識は2年ぐらいであっさり抜かれてしまいました」
大学中心で夏休みしか蜂に触れない栄太さんと、仕事に従事する青年とでは、吸収できる情報量がまるで違うはず。「それでも悔しかった」と栄太さん。
もともと、祖父・正(ただし)さんも、栄作さんも、自ら聞きにいかないと仕事を教えてくれないタイプの九州男児。わからないことを親に聞くのが気恥ずかしい時期もあったが、プライドをかなぐり捨ててわからないことは質問し、遮二無二なって技術の向上に努めた。年下の青年に頭を下げたこともある。
「大学を卒業してからの2年間は追いつけ追い越せで、技術が上達するなら恥ずかしいとかどうでもいいと思っていました。彼はおととし、卒業していったんですけど、刺激がなくなった分、気が抜けてしまって。いまでも新技術の情報交換などで連絡をとり合っています」
高校生で家業を継ぐと決意し、大学生でハートに火がついた。しかし1度だけ、中学生のときに仕事をイヤだと思った時期があったという。
「家の手伝いというと弟や妹は夏休みだけですが、僕だけずっと手伝い。遊びたい盛りなのに、友達が遊ぼうと誘いに来ても仕事をするよう言われて……。中学生のときに初めて父に反抗したんです。『どうして働かなきゃいけないの?』って。それでも山に連れて行かれましたけど(笑)。
そのかわりじゃないですけど、対価をくれるようになりました。7万、8万円の小遣いをポンともらったり。うれしかったのは、ポケモンが流行り出したころ、ゲームボーイアドバンスを買ってもらったこと。いい感じで餌付けされました(笑)」