鈴木さんは全く締め切りを守らないタイプ
どれだけ危険な場所に潜入しても動じない鈴木さんだが、昨年、驚くほど動揺する出来事があった。それは、ピアノの発表会での演奏中(!)に起きた。
ピアノを習い始めたのは一昨年前。『サカナとヤクザ』脱稿明けのスーパーハイな状態のままシネコンで見た、『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』がきっかけだった。全編にABBAのヒット曲が流れる映画の最中、『ダンシング・クイーン』が流れた瞬間、滂沱(ぼうだ)の涙が止まらない。音楽そのものが、直接感情を揺さぶったのだ。
「けっこう自信があったんですよ。自分はさんざんヤクザの事務所に乗り込んで話も聞いてきたし、もはや緊張することなんてないって。ところが、演奏の途中から本当に頭の中が真っ白になって、曲が1小節パンと飛んでしまったんです」
この顛末(てんまつ)は『ヤクザときどきピアノ』のタイトルで1冊にまとまっている。今でもピアノのレッスンは続けているが、ほかにもやりたいことはたくさんある。
「いま、54歳なんですけど、飛行機でたとえるなら降下前にポーンとベルトサインが鳴った状態。もう時間がないから、やりたいことは何でもやると決めているんです。コロナが落ち着いたらまず習字。やりたいことを見つけたいというより、不得手な部分を何とかして挽回したいというのが強いですね。字が汚いのがコンプレックスなので。
楽器なんて何も弾けなかったけど、楽器ができる人ってみんな幸せそうだし、セッションなんて最高に楽しいんだと思う。それを見て、『いいですね。いつかやりたいです』って言うのに飽きちゃって」
自転車にバイク、クルマといった乗り物にも目がない。クルマの運転をしたことがない人が習練するうちに脳内に回路ができて、意識しなくてもクラッチ操作ができるようになる──。そんな世界に焦点が合っていくような瞬間が楽しくてたまらない。それが如実に表れたエピソードを教えてくれたのは、大洋図書の担当編集・早川和樹さん(43)。
「鈴木さんは全く締め切りを守らないタイプで、締め切り日に連絡をすると、『何か頼まれていたっけ?』みたいなことを言うんです。それから、1、2日後に原稿があがってくるのがいつものパターン。原稿は最高に面白いし、それ自体は問題ないんですけど、あるとき、鈴木さんが所有しているバイクを撮影させていただいて、『何文字ぐらいで』と原稿も依頼したんです。そのときだけは、1時間後に原稿があがってきました」
週刊女性取材班が撮影をお願いした日も、ヤマハのTW200で颯爽(さっそう)と現れた鈴木さん。何せ、高精度な機械が好きなのだという。
「だって、よくできた機械には理由のない部品がひとつもないんですよ? よく見るとネジが中空になっていたりして、『軽くするため、そこまでやるか!』と楽しくなるし、そうやって組まれたものに乗ると『いま俺は緻密な機械に乗っている!』とハイになる。すべての部品にそうなっている理由があり背後にドラマがある。それを読み解いていくのがたまらないんです」
その言葉を聞いて、1冊のルポルタージュを書くために、取材に5年かけた理由が少しわかった気がした。