「主人は亡くなってよかったと思う」と言う理由
退院後、肇さんは近所のホームに入所したが、亡くなるちょうど1週間前、傍らに奥村さんを呼び、こう言ったという。
「“お前と一緒になって幸せだったよ、ありがとう”って。そのあとに“お前は(90歳までベンチプレスを続けるという)目標を持ってやってきたんだから、その目標をケガをしないで達成してくれ”と。
まあ90歳は越えましたけど、それを守っているの、私」
2017年6月19日、夫・肇さん死去。奥村さんいわく、“文句も言わず仕事に励む職人気質の人”で、決して安くはない世界選手権への参加も快く許したばかりか、参加を後押しし、励まし続けた。
13年以上も前に交わした夫との約束を、今も守り続ける奥村さんは、最大の理解者の逝去を、この人らしいカラッとした口調で言う。
「ホームには3か月いました。私、主人は亡くなってよかったと思う。
それりゃ寂しいですよ。だけどね、今まで(ゴルフや筋トレに)動き回っていた人に寝ていろ、ジッとしていろというのは過酷でしょ? 自分のしたいことができないとしたら、かわいそうだと思うの。だから私は(3か月で亡くなってくれて)よかったと思っていますよ」
アンチ・ドーピングに関する専門知識を持つ薬剤師・スポーツファーマシストとして、4年ほど前から奥村さんの薬の服用と栄養指導を行っている鹿嶋市のさつき薬局本店の工藤仁一薬剤師(45)が言う。
「(ご主人を亡くして)元気がない時期は確かにありましたけど、はたから見ていてすごいなというぐらい、モチベーションの戻しが普通の人とは比べものにならないぐらい早かったですね。
これはダンナさんとの“俺のことはいいからやれ”という約束を守っているから。悲しさにかまけている場合じゃない、約束があるんだという思いから来るんだと、僕は理解しています」
前出の大谷さんは、もっとも身近に住む人の立場で、この友人の素顔を証言する。
「泣いた姿は見なかったけどしょんぼりとしていましたね。泣き顔は決して見せなかった。強い人なんです」
肇さんを失い、自身も脳梗塞を患うという逆風の中、2018年南アフリカの世界大会では見事、復活の金メダル。初の日本大会(成田市)だった2019年も優勝し、5個目の金メダルを獲得した。この間、50kgの日本記録と45kgの世界記録。そして非公認ながら、60kgを挙げることに成功している。