母の認知症と遺骨になった娘
1988年、奥村さん58歳のときだった。
アメリカ企業『ハワードヒューズ社』に勤務、ドイツに転勤していたもう1人のわが子・由加理さんが急性白血病を発症したのだ。
「ドイツから電話があったの。“会いたい”って。それで軍用機で息子が学生として滞在していたアメリカのワシントンの陸軍病院だかに運ばれてきたんだけど、ちょうどそのときに、母が倒れちゃったのよ。
“どっちが大事か?”といえば、私としては子どものほうが大事だけど、母だって、私が見なきゃ誰が見るの? 今みたいに介護保険とかがなかったし。それでアメリカには行かなかった」
そんな事情で娘との最後の対面よりも母親を選ばざるをえなかった奥村さんに、認知症になったキノさんからの言葉が突き刺さる。
「相模原の病院に行くでしょ? 付き添っている人が“キノさん、娘さんが来たよ”と言うと、母は“私に娘はいない”って。それを聞いてみなさいよ、ショックですよ〜。そんな経験をしてるから、私は認知症にならないようにしている。3か月に1回の検査もしていて昨日も行ってきた」
最愛の娘・由加理さんは、学生として現地にいた息子・由多加さんのもと、アメリカで荼毘(だび)に付され、遺骨となって奥村さんと肇さんのもとに帰ってきた。享年33。
「泣いたかって? 私、泣かなかったですよ。亡くなったものを引き戻せるわけじゃないし。これが命、神さまが運命をそう書いたんだからしょうがないじゃないですか。
人生ってそんなもんじゃないですか? なるようにしかならない。だから泣かないですよ、私」
気丈にそう語る奥村さん。だが最後に、小声でこうつけ加えたのを確かに聞いた。
「まあ、陰では泣いているかもしれないけれど……」
さて、11月21~22日に行われる全日本ベンチプレス選手権大会まであと1か月ほど。世界選手権に出場し、6つ目の金メダルを獲得するには、この大会で優勝することが条件だ。パワーリフティングでは100gの体重の増減が記録を左右してしまう。それだけに、奥村さんも健康管理には余念がない。
朝は4時半に起床。愛飲のマカダミアナッツコーヒーを淹れて肇さんの遺影に供えたら、ゆっくりと新聞に目を通し、6時半に朝食。昼食は14時にとり、夜は牛乳にお取り寄せで手に入れるハチミツを入れて飲む。内臓を休ませるためだ。工藤薬剤師が言う。
「ご飯もグラム単位で量って食べています。年とともに胃も小さくなっていますから、入る量が決まってしまっている。入る量を変えずに効率よく栄養をとらなければいけないからです」