沼津駅近くにある仲見世商店街で婦人服店を営んでいた両親、兄の4人家族で育った。
「バブルのころは商店街にも活気があって、どこのお店も景気がよかったんだけどね。今はシャッター通りになっちゃって、磯村さんのお店も6年前にたたんじゃったのよ」(商店街関係者)
両親が店を構えていた商店街では、小さなころからアイドル的な存在だったようだ。
「夏祭りでは率先して神輿をかついだり、元気な子でしたね。地元で評判の美人なお母さんに似て、小さなころから可愛らしい顔で女の子にモテていたよ。商店街でもみんなが“ハヤちゃん”と声をかけるほど人気者だったね」(別の商店街関係者)
“ハヤトさま”と呼ばれるアイドルだった高校時代
幼稚園のころからモテていたことを、過去のインタビューでも自ら語っていた。
《女たらしでしたね(笑)。女の子はみんな自分の彼女みたいな感じで、全員とベタベタしていたんです。女の子とキスのまねごとをしたり》
サッカー王国で知られる静岡だけあり、磯村も小学3年生のときにサッカーを始める。
「ジュビロ磐田のジュニアチームに所属するほど本気でやっていましたよ。でも限界を感じたようで、小6でチームをやめちゃいましたね。中学ではバスケットボール部に入っていました」(同級生)
以前に発売したフォトブックでも、
《他校に試合に行くと、ぶっちゃけ、女子からの声援はありましたね(笑)。メールアドレスが書いてある紙をもらったりして》
高校でもバスケを続けていた磯村。出演中のドラマ『恋する母たち』(TBS系)ではほどよく鍛えられたボディで“全裸待機”する悩殺シーンを演じ、世の女性たちを虜にした。学生時代にも、その甘いフェイスで同世代の女子高生たちを夢中にさせていたようだ。
「磯村くんが通っていた高校は、もとは女子高だったんです。共学になっても女子率が高かったこともあり、高校では女子生徒から“ハヤト様”と呼ばれるアイドル的な存在でした。沼津ではちょっとした有名人で、高校の名前を言うと、“ハヤト様の学校?”とうらやましがられましたね」(前出・同級生)
演技にも興味を持っていた彼は、中学2年生にして自ら主演を務めた自主映画『思い出の雫』を製作する。
「インタビューでもよく語っていますが、中学3年生のときに作った『ヌマヅの少女ハイジ』ではスカートをはいてハイジ役を演じたとか。体当たりでぶつかっていく姿勢は、このころから備わっていたのかも」(芸能ライター)