内海桂子さんは2020年8月22日に97歳で大往生。81年にわたって芸人の道を全うした。
「芸の道を極めたことが評価され、紫綬褒章と勲四等宝冠章を受章。晩年まで舞台に立ち続けた、現役最年長芸人でした」(スポーツ紙記者)
浅草の演芸場『東洋館』の近くにある洋食店『ヨシカミ』が、大のお気に入りだった。
「毎月のように通ってくださいました。出番の日は出演後に後輩の方々と4、5人でいらっしゃって、カツサンドやポテトフライなどをつまみに打ち上げ。漫才コンビ『ナイツ』のおふたりを連れてきたこともありますね」(店主の吾妻弘章さん)
プライベートでも、夫婦で食事に来ていた。夫の成田常也氏は24歳年下で、内海さんが77歳だった1999年に結婚。マネージャーとしても彼女を支えていた。
「ご夫妻でいらっしゃるときは、いつも決まってステーキ。2人で来ると旦那さんが師匠を気遣っていて、仲のよさが伝わってきました。晩年でも食欲はあって、とても元気な様子でした。師匠はオン・オフの切り替えがなく、いつも“芸人・内海桂子”としての矜持を貫いてましたね。声をかけられると握手でも写真でも応じちゃう。みなさんあっての芸人だって、いつも口にしていました」(吾妻さん)
下町の自宅周辺では、彼女の死を悼む声が聞こえてきた。
「元気なころは毎日、旦那さんと散歩。会う人みんなに挨拶して、太陽のような人だったよ」(近隣に住む女性)
地域のイベントや近所の人の結婚式にもまめに参加する、地元愛の強い人だった。
「旦那さんは少し前に倒れたみたいで、今は杖が手放せない。自宅は階段がつらく以前、桂子さんの事務所だった近くのエレベーターつきマンションに移ったそう。自宅は誰もいないけど、お孫さんたちが住むって話も聞いたね。3階に大きな稽古場がある立派なお家だよ」(近隣に住む男性)
成田氏に「偲ぶ会」を聞くと
12月上旬の昼下がり、成田氏を訪ねると、ちょうどリハビリに出かけるところで、夕方に電話で話を聞いた。
ーー晩年の様子は?
「今年の頭に『東洋館』での出番がありましたが、それが最後の舞台となりました。そのときはまだ元気でしたね」
成田さんは、4月に脳出血で倒れ回復したものの、今も闘病中だという。
「孫たちにも会ってません。本当にリハビリの毎日で、会う時間も余裕もないんです」
空き家となっている自宅についても、何も決まっていないと話す。
「何の見通しも立っていません。孫たちが住むって話も聞いていないし、私に言えることはありません」
ーーコロナ禍で偲ぶ会もできませんが……。
「ご時世のことは、どうにもなりませんからね……当然、開けたらいいと思いますけど、こればっかりはどうにも」
気っ風のいい内海さんの声がもう聞けないなんて、あまりにも寂しすぎる。