拒食も過食も肯定していく
そこで注目されているのが「プロアナ」や「プロミア」です。拒食(アノレクシア)や過食(ブリミア)を生きるために必要なものとして支持(プロ)しようとする考え方を指します。容易に変えられないものなら、拒食も過食も肯定して、うまく付き合っていくことを目指そうというわけです。
実際、痩せ姫たちは拒食や過食を「杖」や「浮輪」にたとえたりします。歩きづらい人にとっての杖や泳げない人にとっての浮輪と同じで、手放すわけにはいかないのです。退院後にまたやせたり、標準体形になってからもやせ願望が消えなかったり、ストレス解消の過食がやめられなかったり、というのはそういうところに起因します。
それゆえ、筆者は著書『痩せ姫 生きづらさの果てに』の帯に「痩せることがすべて、そんな生き方もあっていい」と書きました。杖や浮輪を手放そうとすることがますますストレスになるくらいなら、また、やせることで自信や安心を得ているのなら、わざわざ捨てることはないと思うのです。
ただ、拒食も過食も、そこだけに頼りすぎると人生が破綻しかねません。そこで有効なのは、ほかにも依存対象を作ることです。経済的なリスク管理において、貯金をいくつかの金融機関に分散すると安心度が上がるように、依存もまたしかり。食以外の捌け口を作ることが、生きづらさの軽減につながります。
前出のレネも、写真という別の表現手段を見つけることで「私も少しはいい存在なのかも」と思えるようになりました。
ところで、痩せ姫のなかにはこんなことを言う人もいます。
「拒食とか過食とか、そういうものがあることは知っていたけど、まさか自分がこうなるとは思わなかった」
それは現代の食という問題において、グレーゾーンのようなものが大きく広がっていることを感じさせます。健康と不健康にせよ、ダイエットと拒食・過食にせよ、その境界は曖昧で、その点では誰もが痩せ姫になる可能性を秘めています。
また、生きづらさは目に見えないものなので、食や体形をめぐる葛藤を人知れずしている人も少なくないでしょう。あの有名人やあなたの隣にいる人も、悩みながら懸命に日々をしのいでいるのかもしれません。
(取材・文/宝泉薫)