経験を糧に着々とスキルアップ
そして、この時期に発表されたのが『SHOWER OF LOVE』('97年)というアルバム。角松敏生や吉田美奈子、SING LIKE TALKINGの佐藤竹善や藤田千章らが参加して、宏美が軽やかなシティポップやAORサウンドに挑んでいる。繊細な声でつぶやいたり、裏声を多用したりして、くつろいで聴ける曲が多いのも特徴だ。
また、9年ぶりにミュージカル『レ・ミゼラブル』に出演。子どもと一緒に暮らせなくなる母親の役を自らの体験を通して演じ、最大の見せ場である『夢やぶれて』での絶唱が大きな評判となった。現在は2人の子どもとも自由に交流しているそうだが、彼女の歌がより慈愛に満ちた深いものとなったのは、この'90年代のつらい体験があったからだろう。
'00年代以降は、ポリープの除去や更年期障害、甲状腺障害などさまざまな困難を乗り越えながらカバー・アルバム『Dear Friends』('03年)を発表し、これまで8作も続くほどの人気シリーズに。近ごろでは「のどにも寿命がある」ということを悟り、デビュー時のような強く張った高音は出さなくなったかわりに、筒美京平が早くからその魅力を見抜いていた響きのある低音から、離婚後に多用しはじめた優美に包み込むような裏声まで、幅広い音域を駆使するように。さらには歌謡曲のみならず、クラシックやジャズのアーティストとの共演を成功させるなど活躍の場を広げ、還暦を過ぎてもなお、歌い続けている。
近年、昭和歌謡が再評価されているなかで、山口百恵、太田裕美、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎らトップクラスとともに名前が挙がるのが岩崎宏美だと言えるだろう。
当時の楽曲は歌詞もメロディーも口ずさみやすく、決して言葉や音符の数が多くはなくとも深い魅力を生み出していたのは、どの曲もドラマ性のある歌声で歌われていたからだ。逆に、岩崎宏美が近年のJ-POPをカバーするとしたら、そのドラマティックな歌声を味わう余韻なく言葉が詰め込まれることで、ときとして情報過多になってしまうのではないだろうか。
だからこそ昭和歌謡は魅力的であり、それを忠実に歌い継ぐことのできる数少ない伝道師として、今後も岩崎宏美の活躍を祈っている。なんなら、紅白歌合戦にも30年以上ぶりに復活してほしいくらいだ。この歌謡曲ブームで、そんなふうに願う人がもっともっと多くなることを大いに期待している。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)