野村克也さんが放っていたボヤキ

 1月30日に行われた入団会見では、「シーズン後には、日本一になりましたというご報告をすることができたら」と、今は亡き偉大な恩師への思いも口にしていた。

 仙台駅の近くにある『鮨仙一』は、店主の山田定雄さんが星野監督の名前と“仙台で一番を目指す”という2つの意味から名づけた店。監督が楽天時代に通っていたという。

店で野球の話をすることはほとんどなかったけど、やっぱりマー君は特別な存在だったと思いますよ。同じピッチャー出身だし、プレースタイルも“燃える男”という雰囲気で通ずるものがありますからね。星野さんには、“マー君が人間としても選手としても、大きくなって帰ってきましたよ”って伝えたいですね

 野村監督には、プロ入りから育ててもらった恩がある。

 監督が愛した東京・市谷にある『鮨太鼓』の若女将・白石麻美さんは、彼一流のボヤキを覚えている。

「マー君が本当にかわいいからこそのボヤキ。メジャーに行くときも“あいつ行っちゃうんだよなあ……”なんて少し寂しそうにボソッと話していたことも。心配もしてたけど、“頑張ってくれるんじゃないかな”って日本から見守っていましたよ。あと1年早ければ……なんて考えちゃいますけど、きっと監督は天国で沙知代さんと一緒に喜んでると思います」

 大リーグの球団からもオファーはあったという。田中が日本に戻ることを決めたのはなぜだったのか。

「楽天には新人時代に育ててもらって恩を感じており、ヤンキースに行ってからも毎年、オフには楽天の若手選手と日本で自主トレをして、後輩にトレーニング方法を伝授していたことも。球団に対する思いは強く、復帰先に決めたのは当然でしょう。震災からちょうど10年ということもあり、東北の人たちに恩返しがしたいという気持ちもあるようです」(前出・スポーツ紙記者)