《ちっちゃな頃から悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ》
昭和に生まれたこのフレーズを令和の今、熱唱するのは58歳の藤井フミヤだ。
「『藤井フミヤ コンサートツアー2020―2021“ACTION”』で、フミヤさんは長らく封印していたチェッカーズの楽曲をソロで解禁しました。かつてのファンたちは大興奮でしたね」(レコード会社関係者)
チェッカーズは'83年にデビュー。斬新なファッションとポップな曲で若者から絶大な支持を受けた。
「ボーカルのフミヤを中心に、武内享、高杢禎彦、大土井裕二、鶴久政治、徳永善也さん、藤井尚之の7人組。『ギザギザハートの子守唄』を含め、作曲家の芹澤廣明氏が手がけた『涙のリクエスト』や『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』などヒット曲を連発。国民的なアイドルグループとなりました」(スポーツ紙記者)
断絶を決定的にした暴露本
しかし、'92年のNHK紅白歌合戦出場を最後に解散。
「フミヤさんと高杢さんの関係悪化が原因といわれています。2人は幼なじみでしたが、フミヤさんの人気が突出して収入格差も生まれ、兄貴分だった高杢さんは彼に複雑な感情を抱いていたともいわれています」(芸能プロ関係者)
断絶を決定的にしたのは、高杢が'03年に新潮社から出版した暴露本だった。
「本では尊大な態度をとるフミヤさんを強く批判。また楽曲印税を多く得るため、芹澤氏の提供曲を歌わず、オリジナル曲を発売する方針に変えたことにも触れて彼を“恩知らず”と指摘しています」(出版関係者)
この本の信憑性はともかく、フミヤは高杢のみならず、芹澤氏とも絶縁状態になった。
一方、同じころに元メンバーだった武内や徳永さんたち4人は『アブラーズ』というバンドを組んで活動を開始。しかし、'04年に徳永さんが舌がんにより、40歳の若さでこの世を去ることに。
「徳永さんを送る会でもフミヤさんは高杢さんと席を交えないなど、対立が垣間見えました。囲み取材でも、フミヤさんは暴露本について“デタラメって聞いてるから読んでません”と発言。それを聞いた高杢さんも激怒。ますます溝を深めてしまったんです」(前出・スポーツ紙記者)
修復は絶望的だと思われていただけに、フミヤがチェッカーズの曲を解禁したことは大きな波紋を呼んだ。
「4月29日号の『女性セブン』はフミヤさんに直撃取材。これまで歌わなかった理由を“1人で歌うことに抵抗があった”と語り、去年の9月に芹澤氏と食事をしたことを打ち明けました。4月20日号の『女性自身』の取材に対しては芹澤氏が“チェッカーズを再結成してほしいと思っていますよ”とコメント。両者の歩み寄りが見えますね」(同・スポーツ紙記者)