ひきこもりの当事者・経験者の声を発信するメディア『ひきポス』を発行している石崎森人さん(37)は、28歳から33歳まで「子ども・若者編集部」に参加、石井さんとともに活動していた。
「僕は大学を卒業したあとにひきこもりだった時期がありました。それを脱して暇だったときに、友人がアニメ監督の押井守さんをインタビューしたと聞いて不登校新聞のことを知り、興味を持ち参加しました。その編集部での経験をもとに、'17年にウェブ版の『ひきポス』を創刊しました。書き手の中には、不登校新聞にも書いている人がいます。
今でも石井さんとは一緒に飲んで話をする仲です。出会ったときから“この人はすごい。将来、有名になるな”と思ってましたよ」
大学院で不登校について研究し、その後、不登校新聞のスタッフになって15年の小熊広宣さん(41)は、石井さんと最も長く仕事を共にしてきた存在である。
「石井のエピソードですか? ありすぎちゃって。取材日程をダブルブッキングしたことも1度や2度じゃないですし、インタビュー中に録音機が回っていなかった、なんてこともありました」
今でも思い出すのは、政治家の故・野中広務さんのインタビュー。
「石井と、子ども若者編集部の子ども記者で取材先に向かったときでした。私は編集部にいたんですが、野中さんの秘書の方から“約束の時間が過ぎているんですが、まだいらしてないんです”と電話があったんです。驚いて石井に電話をすると“取材先には到着しているけれど、部屋がどこだかわからない”と……。秘書の方も石井も、私も、てんやわんやになっていました。取材は無事にできましたが、あのときの緊張感は今でも鮮明に憶えています」
小熊さんは、石井さんを「エネルギッシュで多動型」だと表現する。
「困ることだけじゃなく、いい面もある。不登校に関する事柄に常にアンテナを張っていて、感度がいい。(前述した)18歳以下の日別の累計自殺者数は9月1日が突出して多いというデータをどこよりも早く発見して、文部科学省で記者会見を開いたわけですが、これは石井の功績だと思います」
子どもの自殺が増えている時代の処方箋
不登校新聞が創刊して23年。その間、不登校に対する世の中の見方やとらえ方は、時がたつにつれ「随分、変化してきたと思います」と石井さんは指摘する。
「特にここ数年で格段に変わりましたね。'17年に『教育機会確保法』ができたことが大きい。これは不登校に関する初めての法律で、これができてまず文科省が変わった。
不登校に対して、“学校に復帰させることだけを目的とした支援をやめてください”と公言したんです。従来と180度、方針を変えました」
行政が認識をあらため、「学校以外の場で学ぶことの重要性」「学校を休ませる必要性」について取り組みを始めた。これには、大きな意味があるといえる。
変わったのは、国や学校現場だけではない。
「不登校が一般の人々に認知されやすくなった影響もあると思います。追い詰めると死に至ることもある問題なのだと知る人が増え、フリースクールの存在も知られるようになり、不登校に対して寛容なムードが出てきた」
さらに昨年からのコロナ禍による影響が、大きな変化を生み出している。
「学校に行かない時間というのが当たり前になりました。学校現場で重要視される順位が、不登校より“リモート授業”“オンライン授業”という位置付けになり、ガラッと変わったんですね。今までは学校に行くことだけが“学び”を得る正当な手段とされていて、それに代わる選択肢が少なかった。ところが今、コロナをきっかけに本当に新しく変わろうとしています」