大学時代は好奇心旺盛な学生
そうした霊感の強かった母親の影響を受けながら、鹿児島の実家の寺で修行を続けた。そして、高校卒業後は真言密教を学ぶため、和歌山県の高野山大学に進学した。
大学時代から現在も池口と親交を持つ、鳥取県・歓喜寺の徳岡弘昭さんは、大学時代の池口は「相撲部に所属し、舞踊も嗜(たしな)む好奇心旺盛な学生でした」と振り返る。
「私も“さめちゃん”と同じ相撲部でした。彼は身体が大きくて柔軟性はなかったですが、ガッチリした相撲をとっていた記憶があります。相撲部は、それほど強くなかったのですが、彼は強豪が集まる全国大会の個人戦でベスト32まで勝ち進みました。
仏教の教えを旋律にのせて唱える和歌のような『御詠歌(ごえいか)』も習っていたのですが、さめちゃんは御詠歌に合わせて舞ったりと、器用でしたね」
徳岡さんが証言するように池口本人も「大学時代は芸事が好きで、毎年行われる文化祭では舞台で演劇をし、優勝したこともある」と、青春時代の記憶を思い出し、こんな過去も明かしてくれた。
「文化祭での私の舞台を見た高野山櫻池院の大僧正だった方が当時の日活常務と友達で、私に“ニューフェイスのオーディションを受けてみないか”と声をかけてくれたんです。
私は最終審査まで残ったのですが、その課題がパントマイム。“そんなこと、できません”って尻込みしてしまって。審査員は“何でもいいからやってみろ”と言うのですが、やり切れずに俳優の道はあきらめました(笑)」
こうした池口氏の芸事好きは今でも続いており、弘法大師や自身の誕生日には、法衣を脱ぎ捨てタキシードに身を包み、ホテルを貸し切って、カラオケで歌声を披露しているという。
「兄の影響で、歌うことも好きだったんです」
取材中に突然、「歌ってみましょうか?」と、いたずらっぽく微笑むと、おもむろにスマホで持ち歌を検索。'98年に歌手・門倉有希が切ない女心を歌った曲『ノラ』をフルコーラスで歌ってみせた。
「歌うのは女性歌手の曲が多いですね。2、3回聴いたら覚えるんですよ」