鹿児島に戻ってからは、一心不乱に行にのめり込む。そうした姿を見かねてか、ほどなくしてある信者が実家との仲を取り持ってくれ、実家の寺に帰れることになった。
「実家に戻ってからは、より一層、行に励みました。午前1時に目を覚まし、身体を清め、身支度をして2時から行に入りました。毎日の睡眠時間は4、5時間でしたが、少しもつらくない。むしろ快い疲労でした。“私の人生には行しかない”と目覚めた瞬間でした」
朝から晩まで経を唱え、護摩を焚く。そうした毎日を過ごすことによって、池口は目の前がパッと開ける思いがした。脇目も振らずに行に集中した池口は、満を持して真言密教の荒行である『8000枚護摩行』に挑んだ。
「8000枚とは、護摩行で火にくべる護摩木の数です。これをやり遂げることができれば、古来、飛ぶ鳥を落としたり、河川の水を自在に操ったり、山をも動かせるようになると言い伝えられている、密教の秘法です。
行に先立つこと21日間、五穀断ち、十穀断ちを続けながら毎日、真言を一万遍唱え、護摩を三座行います」
行場が行者の死に場所だ!
1週間前から断食し、24時間前からは水も断つ。3メートルの高さ、300度以上の熱さで燃え盛る炎を前にして、一心不乱に護摩に火をくべながら真言を唱える。発汗とともに身体中から水分は失われ、意識は遠のき、気力、体力は限界に達する。そうした過酷な状況を約6、7時間続けながら、8000枚の護摩木を焚き上げるこの行は、真言密教の行者でも一生に1度、やれるかやれないかといわれる。
池口は、この『8000枚護摩行』を、これまで100回以上やり遂げてきた。
「4、5回目のとき、1度だけ熱さに堪えかね意識を失ったことがあるんです。一緒に行をしていた弟子が私を壇から降ろそうとしたとき、傍らで不動真言を唱えていた母が“苦しかったらここで死ね!行場が行者の死に場所だ!”と、私に叫びました。その言葉を聞いて私は意識を取り戻し、行に戻ることができたのです」
行場が行者の死に場所─。この言葉は、今でも池口の耳に鮮明に残る。
「いろいろな職業の方が、私のもとを訪れます。政治家、スポーツ選手、実業家。そうした人が、さまざまな状況の中で、“もうダメだ”というときもある。そんなとき、私は母から叱咤(しった)された話をするんです。
政治家なら政治が行場、スポーツ選手ならスポーツが行場、実業家なら実業が行場。その行場で命がけで“ここが自分の死に場所なんだ”という気持ちでやっていますか、と。命がけで自分の行場で行をしてこそ道が開ける、そう伝えるんです」
'89年、毎日1万800枚の護摩木に加えて、全国の信者から送られてきた3500枚の添え護摩を100日間連続で焚く前人未到の『100万枚護摩行』に挑む。
前述したように、8000枚護摩行でさえ密教行者が一生に1度、行えるかどうかの荒行。それを毎日1万800枚以上、合計100万枚以上になる護摩木を100日間かけて焚き続けるというのだから過酷極まりない。挑む前に、池口は行中に死んだ際の後継者も決めて臨んだ。
「想像を絶する苦しさでしたが、護摩行を続けている間に、熱さも苦しさも感じなくなり、逆に全身の感覚がさえわたり、自然と真言が口から出て、完璧なリズムで護摩木が手から離れていきました。自分の中に御仏が入ったような感覚にとらわれ、身体中の細胞が一斉に目覚め、呼吸するのを感じました」
前人未到の行を勤め終えた際、池口は7色の光の中から御仏が近づき微笑むのを「確かに感じた」という。