ウソをつき中絶の費用を払う気配のない店長

 香澄さんは「娘は店長にそのことを伝えたそうなんですが……」と前置きした上で話を続けます。LINEの返事は後ろ向きな言葉のオンパレード。「俺は今、会社をクビになって失業中だ。失業手当は数か月で切れるし、まだコロナはおさまっていないだろう。今すぐ仕事が見つかるかどうかわからない。香蓮や子どもを養っていけるかどうかわからないのに『産んでほしい』だなんて……そんなのは無責任じゃないかな?」と。当然、娘さんには店長の反対を押し切って出産に踏み切れるほどの経済力がありませんでした。

 香澄さんは「私が離婚したのは娘が3歳のころでした」と回顧します。香澄さんが彼女を引き取り、父親が毎月6万円の養育費を支払うことを約束し、公正証書に残したのですが、わずか3年で養育費の振込は停止。父親はとび職という自営業者。会社員ではないので給与や賞与を差し押さえるのは無理です。だからといって父親が使っている口座、付き合っている取引先は調べようがないので未払い分の回収はできませんでした。

 こうして香澄さんは誰の助けもなく、彼女を女手ひとつで育てたのですが、高校在学中に娘さんを身籠り、18歳で結婚した香澄さんの学歴は中卒。安定した仕事につくことは叶わず、現在もデパ地下で総菜を調理したり、販売したりするパートの仕事を掛け持ちし、年収は160万円程度。「日々の生活に精一杯だったので、貯金はわずかしかありません」と香澄さんは吐露します。

 娘さんが大学を受験する際、予備校の月謝、模試、受験料等として約80万円がかかったのですが、これは香澄さんが信用組合から借りた教育ローンで何とかしたそう。しかし、授業料、入学金、施設利用料等の大学資金については審査が通らず……奨学金を借りざるをえなかったそう。すでに1~3年生の間の金額はあわせて280万円に達しており、最後の1年間も70~80万円を借りる予定でした。そのため、娘さんはバイト代で遊んだりせず、教科書等の費用にあてざるをえなかったのです。このような状況で子どもを出産し、育てていくことができるでしょうか?

「娘には私と同じ人生を歩んでほしくないんです!」と香澄さんは涙声で言います。母子家庭の母自身の平均収入はわずか243万円。子どもを抱えているのに生活保護の基準を下回るという惨状です。だからといって子どもの父親からの養育費も当てになりません。現在、養育費をもらっている母子家庭は全体のたった24.3%なのです(厚生労働省の平成28年度、全国母子世帯等調査結果報告)。

 店長が「来年、香蓮が大学を卒業して結婚できる環境が整って、またそのとき授かったら産もう。病院のお金は全部出すから」と励ましてくれたので、最終的には娘さんは「堕ろす」という結論に至ったのですが、店長の言葉は真っ赤なウソでした。香澄さんがバイト先の同僚に探りを入れたところ、「店長はフリーじゃないですよ。確か社員の彼女さんがいたはず。同じ居酒屋(チェーン)のSV(スーパーバイザー:複数の店舗を管理する職)ですよ」と教えてくれたそう。娘さんより目上の女性。遊ばれていたのでしょうか。

 しかも、2人の間で「堕ろす」という結論が出て以降、店長が中絶の費用を払う気配はなく……電話は着信拒否、メールは受信拒否、LINEは既読スルーされてしまい、音信不通の状態に。妊娠3か月目までの(初期)中絶手術の予算は約20万円。しかし、バイト先を失った苦学生の娘さんに20万円の手持ちはありません。これ以上、手術日を先延ばしにすると、より大がかりな手術(中期中絶手術、予算は約80万円)をせざるを得ず、さらに費用がかさめば、ますますお金を工面できなくなるという堂々巡り。

 途方に暮れた娘さんはついに秘密を隠し切れなくなり、香澄さんに泣きついてきたのです。香澄さんは「娘の結婚資金として貯めておいた20万円を渡しました」と苦渋の決断をし、無事に手術を受けることができたのです。