“ルー語”は僕の1つの顔にすぎない……迷いの40代
浅井企画がお笑い事務所だったこともあり、所属後は芸人として引っ張りだこに。
「芸人という意識はなかったけど、関根さんにも“お笑いの仕事のほうが向いているんじゃない”と言われたし、実際に各局でレギュラー番組を持たせてもらえるようになりましたね。亡くなった母親なんて、“女房と子どもを泣かすな。ちゃんと働け!”と叱っていたのに、売れたとたん“いつか売れると思っていた”と、手のひらを返していましたからね(笑)」
しかし、休む間もないほど忙しくなったことで、悩むようになる。
「ルー語を話したり、みなさんがイメージするクドいキャラクターは僕の1つの顔にしかすぎない。でも世間から求められるのは毎回同じもので……。それで精神的にダウンしたときもありましたね」
バラエティー番組の仕事に疲れたこともあり、並行して俳優の仕事も開始。しかしタレントとしてのオファーは激減し、40代に入ったころにはレギュラー番組がゼロになる。
「タレントの仕事が嫌になったわけではないので、オファーがあれば出演はしていましたが、目に見えて仕事が減っていたので、自分でも“売れなくなったな”と実感していました。でも以前のようにテンションを上げて、どんな仕事でもこなす……というのも年齢的にしんどいなと思っていたので、40代はいろいろ迷っていましたね」
そんな彼の転機になったのが、現在もマネージャーを務める男性・M氏との出会い。
「'07年に年齢がひと回り以上離れた現在のマネージャーに代わった際、“今のルーさんは中途半端。役者なのか芸人なのかわからない”とはっきり言われました。僕からしたらうれしくないサプライズですよ(笑)。そのときに売れて天狗になっていたノーズ(鼻)もガッツリ折られました。
“もっと売れたいなら今までのルー大柴は捨てるべきだし、意識改革が必要。そのお手伝いならできます”と言われたので、彼に任せてみようと。成功する保証はないけど、彼についていくことにしました。それで、彼に提案されたブログが2度目の転機になりました」