『檸檬(れもん)』梶井基次郎
大正14(1925)年に発表された小説です。大阪出身の高校生であった作者が京都にいたときに書かれました。書店に行って画集を積み、その上に檸檬を置く。その檸檬が爆弾だったらと作者は空想するのです。
『檸檬(れもん)』梶井基次郎
いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具(えのぐ)をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形(ぼうすいけい)の恰好(かっこう)も。
──結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終(しじゅう)私の心を圧(おさ)えつけていた不吉な塊(かたまり)がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱(ゆううつ)が、そんなものの一顆(いっか)で紛(まぎ)らされる
──あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体(からだ)に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが私の掌(てのひら)が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内(みうち)に浸(し)み透(とお)ってゆくようなその冷たさは快(こころよ)いものだった。
◯レモンエロウ
レモン・イエロー、レモン色です。日本ではまだ当時、レモンは珍しい果物でした
◯紡錘形
糸巻きの心棒に糸を巻いた形です。円柱状で中ほどが太く、両端が次第に細くなっています。レモンの形を作者は紡錘形と言っています。
◯一顆
果物を数えるときの数詞です。塊になったものを数えるときに使う数詞で、印鑑も実は「一顆、二顆」と数えます。
◯肺尖
肺の上部。肺結核の初期症状を肺尖カタルともいいます。梶井基次郎は肺結核で亡くなりました。
☆ワンポイントアドバイス
19歳で死の病を宣告された作者は、やるせなさに満ちていたでしょう。そこに儚く浮かんで見えるのがレモンです。自暴自棄になりそうな自分を今、唯一支えているレモン、ということを思い浮かべて読んでみてください。
梶井基次郎(かじい・もとじろう)●明治34(1901)年〜昭和7(1932)年、大阪出身。19歳のときに肺尖カタルと診断されてから大正期のデカダンスの風潮もあって放蕩と波乱の人生を歩みました。31歳で死亡。残された20編余の短編は珠玉の名作といわれています。