「今でも亡くなった実感がないんですよね。祖母ががんになってから、手紙の返事は途絶えてしまいましたが、まだ返事があったときのやりとりで覚えているのは“(あなたは)田舎でずっと収まるようなやつじゃない”と祖母からの手紙が届いて“じゃあ東京に行くよ”と返した覚えがあります」

 元々は暴力団に入るつもりだったが、祖母の死で改心。当てもなく21歳の時に上京したそうだ。

少年院で出会った受刑者たち

 そこからスーパークレイジー君が政治家を志したのは、銀座の高級クラブで従業員として働いていたことがきっかけだった。23歳から約10年間、黒服を務めていた期間、お客として訪れていた国会議員との交流から出馬への意欲が芽生えたと語る。

「高級クラブでは、僕を指名する議員さんも結構いたんですよ。よく遊びに連れて行っていただきました。でも、そういう人たちが不祥事で消えていくこともよく目にしていて……」

 付き合いのあった議員との交流や、その人たちが失脚するのを目の当たりにする中、少年院に入っていた自分でも「真面目にやっていくことができれば、議員になれるのでは」と感じたそうだ。

「経歴のある議員が多数を占めるなか、元暴走族、全身刺青、特攻服で出馬すれば話題になるし、政治に興味を持つ人も増えるんじゃないかと。僕みたいな人でもちゃんと議員を務めれば“自分も政治に参加してみよう、政治家になってみよう”と思う人も少なからずいると思って

「少年時代の祖母の別れ」と「上京後の政治家との交流」。この2つが重なり、昨年の都知事選での初出馬につながったそうだ。

 昨年の都知事選に立候補(「西本誠」名義で出馬)したのち、今年1月の埼玉県戸田市の市議選で初当選を果たした。戸田市での立候補は「暴走族時代の親友や遠い親戚がいて、たまたま選挙が行われるのを知ったのがきっかけ」だったという。

 都知事選の出馬のときとはうって変わって、戸田市議選では派手なパフォーマンスを抑えた選挙活動を続けた。

「戸田市議選では都知事選の影響もあり、自分を知ってくれている人も多く、何もない自分を応援してくれる人が少なからずいました。議員になるとどうしても名前が先行するので、“目立つのならば、それに見合う行動をとらないといけない”と思うようになりましたね」

 中でも「弱い立場の人を救いたい」と意気込む。戸田市では、こども食堂での取り組みを中心に、恵まれない子どもへ向けた取り組みに注力してきた。

「少年院に計5年もいれば、何千人もの受刑者に会うんですよ。中には“親がいない、捨てられた”という子どももいて。家庭環境が原因で非行に走る子供でも、あらかじめセーフティネットや身元引き受け先を作れば、事前に青少年の非行を防げると感じました」

 自身の生い立ちや少年院で感じた経験から、ほかの議員が注力しない分野に力を入れてきた。名刺には、LINEのIDや自宅の住所も記載して、困った人たちとの声かけや交流を強化している。