テレワークマナーで大炎上
昨年9月、『テレワークマナーの教科書』という本を出版。コロナ禍でテレワークが一般的になった現在、タイムリーな企画だったが、ネットで大炎上した。
「驚きました。本の内容について『これはひどい』『うるせーばーか』『害悪』『こんな創作マナー出てくると思ったわ』という批判が殺到して。でも、炎上していた内容はその本に書かれていないものでした」
「リモート会議では5分前にルームに入室」「お客様より先に退出してはいけない」など間違った投稿に多くの人が反応し、次々と批判コメントが拡散された。
だが、本の中では、「先に入室してないから失礼だ、などと思わないことこそが真のマナー」というアドバイスを添えていた。
「この騒動を通して、マナー講師につけられた『失礼クリエーター』という異名を知りました。『〇〇しては失礼』という新しい『失礼』を創出(クリエイト)して提唱する人、という意味。明らかに侮辱の感情が込められています」
さすがに落ち込んだひろ子さんを救ったのは、夫の言葉だったという。
「私、元来落ち込みやすいし、気にしちゃうタイプなんですよ、グジグジと。あのときも、批判コメントに対してお詫びのメールを書こうとしていたくらい(苦笑)。でも、夫に『記憶から消せ』と繰り返し言われて、前向きに変わっていけました。注意されたら『言葉の花束』をプレゼントされたと思おう。マイナスのことが起きたときは、プラスに変えなきゃって」
心ない言葉の数々を目にして、反論したい気持ちはなかったんですか? 思わず筆者がそう水を向けると、ひろ子さんは首を横に振った。
「自分の至らなさを自省する機会になりました。一方で、ほとんどのマナー講師が、マナーを作法や型として教えている。『上から目線』に見える部分もあるのかもしれない、と思いました。それに、裏を返せば、マナー講師という仕事にそれだけ影響力があるということ。茶道にいくつも流派があるように、マナー講師の教え方もさまざまです。自分がいいと思えば、それを取り入れればいいし、『どうなの?』と首を傾げるものだったら、スルーすればいいだけなんですよ」
「母」に残した「頼みの綱」
現在、ひろ子さんは、企業のマナーコンサルタントとしても引く手数多である。
7年前から社員研修を依頼している『国立音楽院』代表の新納智保さん(56)が言う。
「『仕事とは何か?』、経営者の立場に立った話から、経営のあり方、企業に合わせたさまざまな研修をしてくださるので驚きました。もともとはスタッフ向けにお呼びしたのですが、今は就活中の学生たちにも“ためになる”と人気です」
今年、新たに自営業者向けのコンサルティングも始めたばかり。「相手の立場に立って、顧客が欲しがるものを提供する」思考は、マナーの得意とする分野だと言う。
彼女の助言で、ネットを利用した新たなビジネスを始めた大阪の和食屋があった。コロナ禍でお店は休業。「お弁当を作って売ればいい」と周囲から言われたが、ご主人の大将は職人肌で、生ものにこだわっていた──。そこで、女将さんによる「和食のマナー講座」をオンライン化したのだ。
有料の動画講座には申し込みが殺到。自粛期間でも収入を得ることができた。
『和処Re楽』の女将・裏野由美子さん(51)は長年、和食の文化をお客様に伝えたいと思ってきたと話す。
「西出先生のオンライン講座を知って参加したのがきっかけです。店側からしたら、マナーは知ってほしいけど、やはり『どうしたらお客様に楽しんでいただけるか』が大事。それを西出先生に言葉で示してもらえた。動画には大将もうれしそうに出演したんですよ(笑)」
ひろ子さんの本を読んで、弟子入りし、マナー講師になった人もいる。吉村まどかさん(50)だ。
「西出先生は、仕事に対しては厳しいですね。一貫してマナー最優先で人間関係に対応されるところも、尊敬しています。マイナスポイントは、完璧すぎるところ。仕事に妥協を許さないから、2日も3日も徹夜しちゃう。先生の身体も心配だし、周りのスタッフも大変ですよね。
先生は甘いもの、可愛くて美しいものが大好き。携帯のアクセに凝ったりして。それがご自身のブランディングになってるところもすごいんですが……(笑)」
今年、ひろ子さんは55歳になる。父が亡くなった年齢だ。
「母とは、もう会うことはないと思います。でも、唯一の頼みの綱は残してあるんです。父や祖父が入っている納骨堂の施主が母になっています。施主として母の名前があるということは、まだ元気でいるということ。それだけは確認しています。そこの住職に『何かあったら、いつでも連絡してきてほしい』と伝えてあるんです」
そう言ってひろ子さんは、「私、あっけらかんとしてるところもあるんで。終わったことはもう、ね」とおどけてみせた。
けっして母親のことを諦めたわけではないのだ。
ネット上で、マナー講師を批判する発言があっても、反論するどころか、批判した人の気持ちを想像しながら言葉を紡ぐ。あれほどのトラブルを持ち出した母親にも、まだ心遣いを欠かしてはいない。
「マナー(思いやり)には、自分も相手も幸せにする力がある──」
きっぱりと断言する彼女の信念は、少しも揺らぐことはないのである。
(取材・文/小泉カツミ)