寄っかからない、甘えない

 吉野さんには、悔いのない人生を送るために心がけてきたことがある。

「散々悪いこといっぱいしたわ。でも人に迷惑かけたり、恨まれたりすることはなかった。この年になって、人様に借金したりせずに何とかやれてるのは、若いときは一生懸命働いて、年とってからはゆうゆうと暮らしたいって信念でやってきたからだと思うの。親兄弟にも仕送りは欠かさずして、孝行はしたわ。それだけは自分の取り柄」

高倉健の出世作『網走番外地 北海篇』にゲイの囚人役で出演。雪の中を勤労奉仕に行くシーン
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【写真】パーティーでドレスアップした、20代のときの吉野さん

 父が事業を失敗してから、ずっと働き通しだった母に、少しでも楽をさせてあげたいという思いがあった。父の死に目には会えなかったが、母には病院で立ち会え、盛大に葬儀も行った。

「今は食っちゃ寝、食っちゃ寝で終わってる。90過ぎて、もう働くこともないしさ、テレビ見たり、ビデオ見たりして、毎日過ごしているわ」

 最近ではミュージカル映画『雨に唄えば』を観賞し、『木下恵介アワー』や韓国のアクションものを楽しんでいるそうだ。

「美川たちが親切にしてくれて、ご飯食べた?って聞いて、一緒に食事してくれたり、ご飯を運んでくれたりしてるの。私、友達には恵まれてるから、そういう点では幸せだと思う。それがいちばんの財産。お金がないのも心細いけど、友達がいてくれるほうがいい」

 美川は叔母が『やなぎ』の隣の小料理屋で働いていたとき、吉野さんと親しくしていたため、幼いころから吉野さんの存在は知っていた。その後、再会し、付き合いが続いているのも、不思議な縁だと話す。

「一緒にご飯食べて、じゃあねって別れて。お互い気も遣わないし、それがストレス解消みたいなもんで」

 吉野さんが80歳を過ぎたころ、遠慮がない間柄ゆえの助言をしたことがある。

「“あんた、いくら持ってるか知らないけど、少しは楽しんでお金使いなさいよ、自分で旅行したりとか”って言ったのね。そしたら、“老後のこと考えないと”ですって!“あんた、何言ってんの、今が老後じゃない”って。まだ老後じゃないのよ、あの人にとっちゃ。だから私も老後はないの。吉野を見ていて私もそういう路線で、しぶとく生きるの。100までは生きますよ、あの人は!」

 吉野さんは自分でもこんなに長く生きるとは思っていなかったが、神様がくれた寿命ばかりはどうすることもできず、生きている限りは楽しくやりたいと思っている。

「長生きしたのは、食べ物もよくなったからでしょうね。戦争中なんてお芋ばっかりで米なんか食べたことなかったし、我慢、我慢ばっかりだったからね。それを思えば今の人たちはみんな幸せよー!

 贅沢な時代に生まれて、何かというとセクハラ・パワハラって言えて。でも厳しい規律がなくなって、自由すぎるのも、わがままになりすぎてダメかもね。今はかえって迷ったり、悩んだりしてる人も多いんじゃないかしら。多少の厳しさは必要だと思うの。猫だって囲炉裏に1回落ちて熱いと思ったら、もう近づかないでしょ、それと一緒。やっぱり痛い目にあうことも、大事だと思うのよ」

「下ネタならいっぱいあるわよ!」と、吉野さん 撮影/齋藤周造
「下ネタならいっぱいあるわよ!」と、吉野さん 撮影/齋藤周造

 現在は性的マイノリティーに関する法も整いつつあり、同性婚も認められる時代となった。吉野さんは「お互いに好きで一緒になるんだったら、それはいいと思う」と認めつつ、自身は男性との同棲や結婚を望んだことはないと話す。

「そういうところは男っぽいっていうか、ひとりが好きなのね。友達と会うときは、和気あいあいでしゃべったりするけれども、寝るときはひとりがいい。だから今の自分がいるのかなって思うのよね。人に寄っかかったりしないの。誰かに頼って、あれ取って、これ取ってって甘えてたら、きっとボケちゃってたかもね。身体がいうこときくうちは、なるべく自分でやりたいの」

 またLGBTを公表したい人がいる一方で、一生隠し通したいと思う人もいるはずだと語る。

「出たがり屋と引っ込み思案な人がいるように、みんな一緒じゃないからね。そっとしといてもらったほうが心地いいって人もいると思うの。

 差別がないという意味では、今はいい時代になったけれど、あんまりオープンになりすぎるのもね。真の愉(たの)しみがなくなってしまうんじゃないかしら。ストリップだって、ちょっとだけよって隠してるからいいんであって、全部出したら興醒めじゃない?やっぱり秘密というものは、誰でも1つぐらいは持っていたほうがいい気がするの」

 歴代の好事家たちに愛された吉野ママ。悲しみもおかしみに変換し、胸のうちで秘められた記憶を反芻(はんすう)している。

 自立した90歳は、今にも自慢のピルエットで1回転しそうなほど、軽やかな足取りで夜の帳へと消えていった。

〈取材・文/森きわこ〉

 もり・きわこ ライター。東京都出身。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は、「やり直しのきく人生」。