中継先で感じる“変化”

 先ほどの宗谷岬などの例はあるが、幸運にも、例年、比較的天候には恵まれているという。だが、無事に放送を終えても、スタッフたちの1日は、まだまだ終わらない。

今村さん「撤収ですか? なかなか2〜3時間で終わりというわけにはいきません。参拝の方がいなくなってから片付けを始めるところもあるので、そうなると朝方までかかるところもあります」

「番組を通して日本の伝統を紡いでいきたい」と小原正泰チーフ・プロデューサー 撮影/斎藤周造
「番組を通して日本の伝統を紡いでいきたい」と小原正泰チーフ・プロデューサー 撮影/斎藤周造
【写真】昔の『ゆく年くる年』台本。表紙にはスタッフの手書きメモが

小原さん「カメラや照明などは頑張って3時までに撤収できたとしても、カメラや照明のケーブル、電源、仮設しているカメラの台とか、そういうのは明るくなってからでないと危ないので、すぐに撤収できないんです。

 一度、伊豆大島で中継をやったときは、お正月に船は出ないと。人が乗るような船は動いているんですが、中継車が乗せられる貨物船は運行しないということで、担当の人は4日まで現場にいたことがありました(笑)

 年越しに、各地を生中継で結ぶ番組ならではのエピソード。このようにあらゆる地域の風景や伝統を撮り続けているわけだが、こんな切ない“変化”を感じることもあるという。

小原さん「北海道のとある地域で行われているお祭りの様子を中継したことがありました。そのときはたくさんの人で賑わっていたんです。でも十数年ぶりに中継したときは、お祭り自体縮小していて、人も減っていた。地元の人に話を聞くと、やっぱり当時はもっとたくさんの人が住んでいたと。

 地方を中継することで、そういった今の抱えている地方の問題みたいなものを感じ取れます。これは他のスタッフも口にしていることですが、人口が減ったとか、伝統行事を続けていけるのかなとか、そういうのは地方の中継を結ぶ上で感じます」

『ゆく年くる年』は、時代の変化も映し出してきた。そんな番組に込める、思いとは。

小原さん「除夜の鐘も実際についた人よりも『ゆく年くる年』で見たという人の方が多いんじゃないかなと思います。そういう意味で、日本の年越しの伝統というものを、この番組は担っているのかなと。時代が変わっても、除夜の鐘を聞いて初詣のお参りに行くという、そういう人がまだまだたくさんいらっしゃる。番組の意味合いとして、その文化を伝えていきたいです」

今村さん『ゆく年くる年』は生放送なので、年越しの瞬間というのを“生”で見ていただきたいです。これはVTRではなかなか代えられないものがあるなと感じています。先輩たちの思い、そして見てくださる方たちの思い、日本の伝統を紡ぐ思いで、私たちもやっていきたいですね」

 放送時間は年に1度のたった30分だが、そこには長い歴史とそれを守ってきた多くのスタッフがいた。今後はどのような『ゆく年くる年』を見せてくれるのか。テーマに込められた思いを感じながら、見届けていきたい。

【こぼれ話】

 これまで、海外から中継をやったり、新年にゲストを呼んで“巻頭言”をうかがうといった新たな試みも。1999年→2000年の回では、こんなことが!

「当時“2000年問題”というものがありました。年が変わった瞬間に、電車が止まるんじゃないかとかコンピューターが暴走するんじゃないかとか、そんなことが言われていたんです。その年は東京都の災害対策本部や、JRの総合指令室から中継をして(笑)。『ゆく年くる年』の番組の中で、ニュースセンターから“いまのところ何も起きていません”というニュースも入れて。キャスターも中継先には行かず、特別に組んだスタジオで、トラブルに備えていました。これは極めて異例な年でしたね」(小原さん)