昨年12月下旬の夜。都内のレンタルスタジオから、神田沙也加さん(享年35)の元夫で俳優の村田充(44)が出てきた。村田は一緒にいた男性と笑顔で話していた。その表情は悲嘆に暮れているように見えなかったが、もしかすると無理をして笑っていたのかもしれない──。
最愛の娘を亡くし、紅白欠場を決めた松田聖子
この日から遡ること1週間ほど前、村田にとっても、世の中の人にとってもショックな出来事があったからだ。
昨年12月18日、神田沙也加さんが亡くなった。
「札幌市内のホテルの高層階から転落し、帰らぬ人となりました。この日は神田さんが主演を務める舞台『マイ・フェア・レディ』の地方公演で札幌に滞在しており、一部のメディアでは、自殺の可能性が高いと報じられています」(スポーツ紙記者)
沙也加さんは'86年に神田正輝(71)と松田聖子(59)という希代のスターのもとに生まれた。ただ、家庭内は“混乱”に見舞われ続けた。
「聖子さんはバックダンサーなど複数の外国人男性との不倫疑惑が報じられ、'97年に神田さんと離婚。翌年主治医の歯科医と再婚しましたが、'00年に離婚しました。'12年には別の歯科医と再々婚しています」(同・スポーツ紙記者)
それでもたくましく育った沙也加さんは14歳で芸能界デビュー。歌手や女優と幅広く活動する一方で、たびたび母・聖子との“不仲説”も取り沙汰された。
親子の間で“距離”ができた時期もあったのかもしれないが、娘の死は聖子の心に暗い影を落とした。
「聖子さんは昨年末のNHK紅白歌合戦に出場する予定でしたが、辞退しました。訃報を聞いてからは、憔悴しきっていましたからね。彼女の決断を責める人はいませんでしたよ」(NHK関係者)
ただ、当初聖子は自分の仕事を完遂しようとしていた。
「“こういう状況だからこそしっかりしないといけない”と出場を考えていたといいます。ただ、周りの人が気を遣ってしまうことを懸念したようです。
聖子さんと沙也加さんは'11年に紅白で共演していますが、司会者もそのことには触れにくいですよね。そうしたことも踏まえて、辞退することにしたのでしょう」(同・NHK関係者)
最愛の娘が亡くなった現実を受け入れるのには、もう少し時間がかかりそうだ。
「12月23日から26日まで予定されていたディナーショーも中止しました。いまはまだ気持ちの整理がつかないでしょうし、沙也加さんの四十九日法要が終わるまではコンサートをはじめ、公の場に出るのを控えるのではないでしょうか」(テレビ局関係者)