「年上のバンドマンと交際をスタートさせていましたが、これに聖子さんが大反対。沙也加さんは“お母さんは自由にやってるのに!”と反発し、家を出ることを決めたのです」(芸能プロ関係者)
飲食店のアルバイトで生計を立てるも、恋人とは破局。“ママ”と慕う大地真央に誘われ、1年半の休業を経て舞台での復帰を果たした。
“聖子の娘”の孤独と葛藤
「台本にはビッシリとセリフの解釈を書き込んでいましたよ。“聖子の娘”と言われる重圧もあったと思います。舞台の稽古中も一生懸命なんですが、自分を痛めつけるように追い込んでいくんです。見ていて心配になるぐらいでした」(舞台関係者)
舞台での経験を積み、'14年には映画『アナと雪の女王』でブレイク。しかし、母・聖子とは溝を深めていく。
「'11年には紅白でデュエットを披露しましたが、近年の取材では“母親の話はNG”とお達しが出るほど。'17年には舞台俳優の村田充さんと結婚しますが、聖子さんにはなんの報告もなかったそうです」(前出・スポーツ紙記者)
結婚式に出席したのは正輝だけで聖子からはコメントもなし。新婚生活ではペアルックを着て、幸せそうな沙也加さんの姿を見ることができたが、長くは続かなかった。
「'19年12月に当時ジャニーズJr.だった秋山大河さんとの不倫疑惑が報じられましたが、沙也加さんは同年の夏に離婚していたことを発表。不倫ではないと主張したのです。その後も秋山さんと交際を続けていたようですが、ほどなくして別れたと聞いています」(前出・ワイドショーデスク)
寂しい幼少期を過ごすも、母の背中を見て育ってきた。そんな母と距離ができ、やっと愛情を独り占めできる相手ができたと思ったら、再び1人になってしまった。
亡くなる直前まで交際していた相手とのトラブルも報じられているが、沙也加さんは“聖子の娘”として生まれたことで、多くの注目を集める一方、消えない孤独と葛藤していたのかもしれない。
霊柩車の助手席から、しんしんと降る雪を見て、聖子は何を思っていたのか─。