アポなし訪問したワイン研修
迎えた'16年。パートから正社員になった彼女は臨戦態勢に入った。が、ワインを造ろうにも、勉強をする術もなければ、教えてくれるアテもない。都内の試飲会に出かけてみたが、丸々1本出されても飲みきれないし、テイスティングの目的すら果たせない。
そこで、国産ワイン最大の名産地である山梨県勝沼町に赴くことを決意。約40軒あるワイナリーを自分なりに事前調査し、家族経営をしている『マルサン葡萄酒』をアポなしで訪問。試飲しながら世間話に花を咲かせた。そして2度目の訪問でこう切り出した。
「東京でワインを造るんですけど、教えてもらえませんか?」
予期せぬ打診に社長の若尾亮さんは面食らったが、「いいですよ。8月から来てください」と、いつの間にか快諾していたという。若尾さんが当時を振り返る。
「ウチは家族4人とバイトの5人でやっている小さい会社。研修を受け入れる余裕もなく、過去に1人も取っていません。それに夏場は観光ブドウ園をやっていて、接客時にものすごいパワーを使う。負のオーラを漂わせる人とは一緒には働けないんです。その点、須合さんの話し方や接し方が明るく、プラスのオーラがあった。“この人なら大丈夫かな”と思えました。
また僕自身、婿養子で12年前に別のワイナリーで一から修業した経験もあったんで、そこまで本気なら教えてあげてもいいなと感じた。即決でしたね」
第一関門を突破し、須合さんはまずは安堵した。が、繁忙期には週2~3回のペースで勝沼に通わなければならなかった。ブドウ園は公共交通機関では行けない場所にあり、車の運転は必須だ。
免許こそ持っていたが、都心暮らしでほとんど乗る機会のなかった彼女は奮起し、ペーパードライバー講習を受講。2~3日かけて教官とともに上野界隈を走り、首都高速にも乗り、スーパーの駐車場で車庫入れの練習に励んだ。
そのうえで、指定された日の朝4時半にレンタカーを借り、おそるおそる中央道を走って、2時間半かけてマルサン葡萄酒の工場へ向かった。「最初は80キロ制限のところを50キロくらいで走っていたんじゃないかな」と本人も苦笑する。なんとか約束の朝8時前に若尾さんと合流。作業を開始した。
ワイン製造工程を簡単に説明すると、ブドウを収穫し、工場に搬入してバラバラにするところから始まる。これをつぶし、搾って果汁にするのが第一歩。その後、樽に入れて発酵させ、一定期間熟成し、仕上げをしてから瓶に詰めるというのが一連の流れだ。
マルサン葡萄酒の自社畑は4000平方メートル。1万7000本のブドウの木があり、「シャルドネ」「メルロー」「プチヴェドー」などの複数品種を栽培している。畑が広いと同じ品種でも日照時間や風の強さなど生育環境に差が出て、香りや甘みも微妙に異なってくる。
畑のあちこちを回り、さまざまなブドウをとっては種までしっかりと食べ、味を確認し、仕込み方を考える若尾さんの一挙手一投足を目の当たりにした須合さんは、必死でメモに取り、動画に撮影し、見よう見まねでひとつひとつの仕事を頭に叩き込んでいった。
仕込みの期間は8月~11月頭の約3か月。合計25万トンのブドウを連日、果汁にする作業を続ける。その間はワイン造りに10年以上、携わってきた若尾さんもナーバスになりがちだ。細かいことに神経を使ううえ、観光ブドウ園の仕事なども重なるため、研修生にいちいち説明することはできない。
「最初は正直、でっかい仕事が増えたなと。受け入れなければよかったなと後悔したこともありました」と若尾さんは本音を吐露する。そんな空気を須合さんも察して極力、負担をかけないように気配りしつつ、情報をインプットしていった。
仕込みが終わり、11~1月までは発酵・熟成期間に入る。その間も醸造家は特殊機器を使ってアルコール分や糖度や酸味、濁度など分析を続ける。須合さんはその時期も要所要所で車を走らせ、勝沼に通い、懸命にノウハウを体得した。
翌年2月からは瓶詰めの作業に入る。これも身長158cmの須合さんのように小柄な女性にとっては、重労働にほかならない。盆地特有の寒さも重なり、かつて中華料理店でどんぶりを運んでいた彼女も堪えたに違いない。
それでも「自分でワイナリーを切り盛りできるようになるんだ」と闘志を燃やし、決して弱音を吐くことなく作業を続けた。マルサン葡萄酒の1万本を超えるワインを出荷できる状態になるまで、無心で若尾さんを手伝ったという。
全工程を終え卒業の段階を迎えた3月。須合さんは若尾さんに笑顔で送り出された。
「何事も基本が大事。教科書に沿ったスタンダードなワイン造りを大事にしてください。応援してます。わからないことがあったらいつでも聞いてください。ただし、1日に電話は3回まで。メールは5回までですよ」と。
須合さんは師匠の言葉を噛みしめた。
「“トラブルが起きたときが大変だし、もう1年、ウチでやったらどうか”とも言われました。でも'17年11月にはブックロードのオープンが決まっていて、修業の傍らで店舗探しや開店準備も進めていたので、そうするわけにもいかなかった。泣く泣くお断りして、車を走らせ、東京に向かいましたね」