目次
Page 1
ー 日本スケート連盟との確執
Page 2
ー 前事務所とのトラブル説が浮上
Page 3
ー 浅田真央が描く次の夢舞台とは

「いろんな思いがあっての、五輪だったと思います。どんな思いで戦いましたか?」

 わずかに声を震わせながら、羽生結弦にインタビューしていたのは金メダリストの荒川静香。

「今回の五輪では、日本人選手の活躍もありますが、驚くような出来事もしばしば。“ロシアの天才”カミラ・ワリエワ選手のドーピング発覚や、五輪3連覇を有力視されていた羽生選手もメダル獲得ならずでした」(スポーツ紙記者)

 荒川だけでなく、元選手である鈴木明子や村上佳菜子が競技について解説する言葉にも、強い思いが込められる。ただ、フィギュア人気の火つけ役といわれた彼女の姿は、見当たらない……。

「2018年の平昌五輪は引退直後でしたから、さすがに出演はないと思いましたが、北京五輪ではコメンテーターや解説者として出演するものだとばかり。それがフタを開けたらどこにもないんです、浅田真央ちゃんの姿が……」(スポーツライター)

 2005年、15歳でシニア部門の国際大会に初出場し、優勝。彗星のごとく現れた天才少女に世間は釘づけにされた。

「真央ちゃんは小学生のころから、スケート関係者の間で“将来は表彰台の常連になる”と言われていました。トリノ五輪で荒川さんが金メダルを獲得しましたが、年齢規定で出られなかった真央ちゃんが出場していたら違った結果になっていたかも。同じ時期のGPシリーズで、荒川さんは真央ちゃんに負けていますから」(スポーツ雑誌編集者)

日本スケート連盟との確執

左から荒川静香、村上佳菜子、鈴木明子
左から荒川静香、村上佳菜子、鈴木明子

 メキメキと力をつける浅田と比例して、フィギュアのテレビ中継も増え、ブームを巻き起こした。

「真央ちゃんは2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得。2011年12月には母親の匡子さんが病気で他界するのですが、同月にあった全日本選手権で優勝。ただ、ここから少しずつ調子を落としていきます。さまざまな負担が彼女に重くのしかかっていたのだと思います。最後の五輪出場となった2014年のソチでは6位でしたが、あの演技は本当に美しかったですね」(同・スポーツ雑誌編集者)

 その後、1年の休養を経て復帰をするが、2017年に現役を引退。あれから5年の歳月が流れた今、こんな話も。

「たびたび“真央ちゃんと日本スケート連盟の間には確執がある”と報じられ、業界でもまことしやかに噂されているんです。引退後は連盟に関した仕事をしていないことや、北京五輪で見ないのもその影響だって。連盟にいいように働かされた真央ちゃんが“もう嫌!”となったという構図も、わからなくはないのですが」(前出・スポーツ紙記者)