20年経ってもその名は轟いて
ほかにもまだまだ多くの伝説を残している宜保さん。
「“宜保愛子が逃げ出した”、“宜保愛子が拒否した”などとうたえば箔がつくので、当時から心霊スポットの宣伝文句として使われたものです。それが宜保さんが亡くなってから20年がたった今でも使われるなんて。最強の霊能者としてのパワーは健在ですね。ですが、実際に宜保さんが坪野鉱泉を拒否したということはないはずですが……」(ミステリー雑誌記者)
『牛首村』がヒットするかも宜保さんには視えている!?
霊とともに生きた宜保愛子さんの人生
1932年、神奈川県横浜市生まれの宜保愛子さん。
3歳のときに弟が持っていた火箸が左目に当たって1年間闘病生活を送り、なんとか失明は免れたものの、視力がかなり落ちてしまった。しかしこのことによって、それまでぼんやりとしか見えなかった霊の姿が立体的に見えるようになったという。また霊の音は生まれつき聴力が弱い右耳で聞こえるそうだ。
幼少期、浪花節が好きだった父に連れられて舞台を見に行った帰り道、タバコ屋のおばさんを見て「あのおばちゃん、もうじきおじちゃんと一緒に死んじゃうよ」と父に言って叱られるが、1か月もたたないうちに浮気相手だった近所のパン屋の主人と毒を飲んで死んでしまったため、母から「気持ちの悪い子だね。これでも本当に私が産んだ子かしら」と言われてしまった。
自分の霊能力にはっきりと気づいたのは小学1年生、6歳のときで、仲よしだったあや子ちゃんが突然ジフテリアで亡くなったにもかかわらず、彼女が遊びに誘ってくる声や、履いていた下駄の音が聞こえるようになったのが始まりだ。さらに近所で起こる火事と出火原因を予言したり、水死者からのメッセージが聞こえたり、盗まれたものの在りかを言い当てたり、同級生が空襲で死んでしまうことを感じ取ってしまったことも。近所でも評判の霊感少女となり、相談者がひっきりなしにやってきたという。
21歳のときに大病を患い、臨死体験をしたことで霊能力がなくなってしまった宜保さん。しかし面倒くさい霊が見えなくなったことに歓喜、「バンザーイ、私は正真正銘、普通の人だぞ」と叫んだそうだ。その後、結婚して3人の子に恵まれるが、末っ子が幼稚園に上がってひと安心した38歳のとき、再会した友人の左肩のところに「崩れた墓のイメージ」が見えて霊能力が復活、テレビや雑誌などで活躍することになった。テレビの視聴率は20%超、著作もベストセラーを連発、雑誌『週刊SPA!』では写真家・篠山紀信によるグラビア撮影にも挑戦した。さらに講演会も開催、各地で満員となった。
番組に出演すると局の代表電話がパンクしたり、個別の鑑定は行わないので金品写真をお送りいただいても返却できませんというテロップが出るほどの人気だった。自宅にも電話がひっきりなしにかかってきて、電報が届いたり、家の前で待ち伏せする人もあったほどだ。しかしバッシング報道などもあり、1994年が最後のテレビ出演となった。
2002年には8年ぶりにネプチューンのバラエティー番組『力の限りゴーゴゴー!!』に出演。2003年にも同番組に出演したが、同年5月6日に胃がんのため死去。享年71。