第1弾は『つくね』、四味一体の味に
だが、問題は解決したわけではない。おいしくて、食べた人が食感も楽しめることにもこだわった。機械で丸い形を成型できても、粒を残そうとすると持ったときに崩れてしまう。反対に機械で圧力をかければ粘り気が出て、米は崩れなくなるが粒感は残らず、餅のようになってしまった。
そこで当時の開発メンバーが取り組んだのは成型の仕方。複数回に分けてプレスすることで粒感を残したままのライスプレートを生み出した。さらに、ヒントになったのは「焼きおにぎり」だった。
「しょうゆをつけて焼くことで表面は硬くなり、中は米粒が残せる。それで形や食感を保持できた。ようやく完成形が見えてきました」
同時に具材の研究も行われていた。最初は梅やおかか、納豆といったおにぎり的な具材が候補に挙がったというが、ハンバーガーである以上ボリューム感は必要だった。
議論を経て、選ばれたのは『鶏のつくね』だった。
「つくねにした理由は、当時ハンバーガーに使っていたパティもヒントに、ご飯との相性や食べやすさなどをトータルで考えたときに“焼き鳥店のつくねはご飯に合うよね”との結論に。つくねを挟んだらハンバーガー的な雰囲気も出せる。ライスバーガーにしてもなじみがあるんじゃないか、とつくねに決まりました」
そこにソテーしたいんげんとたまねぎを挟んだ。ライスプレート、つくね、いんげんとたまねぎ、そして和風ソース。四味一体となり、日本初のお米を使ったハンバーガー『モスライスバーガー』が誕生した。
「新しいものを生み出す苦労、これは商品開発の宿命だと思います。与えられた課題は絶対にやりとげる、という思いを持ち、私たちは商品開発に携わっています。もがきながらも完成したときの喜びは普通の仕事では味わえないところがあるんじゃないかと思います」
'87年の12月、モスライスバーガーつくねは全国で一斉販売された。誰もが初めて見る食べ物。珍しさもあり、店舗では売り切れが続出した。だが、販売が開始されたからといってすべてが終わったわけではなかった。
「ライスプレートの品質の向上はその後も研究が続き、食感などを安定させるには相当時間がかかりました。誕生した商品はお店やお客様の声を聞き、改良と研究を繰り返します。
さらに手をかければかけるほど商品は成長するんです。改善改良はずっと続きます。商品開発に終わりはないですね」
寺本さんはそう言って笑う。そして新しい商品も次々に生み出されていった。