家元襲名は伏せて劇団に応募
大学進学においても、家族を驚かせた。
東京藝術大学には能楽や狂言、日本舞踊の家庭に生まれた子弟が通う『邦楽科・邦楽専攻』がある。しかし、爽子は別の進路に興味を抱く。
実技や実演を中心とした大学生活ではなく、芸術を体系的に学びたいと考えるようになった。青山学院大学・文学部比較芸術学科は、美術、音楽、映像・演劇の3領域の鑑賞や歴史的背景を学ぶというもの。新設されて間もない学科だったことも好奇心に火をつけた。
爽子が選んだ学問は、現在の仕事でプラスに働いている。単位取得が滞ることもなく、「優等生」らしく4年で大学を卒業した。
日ごろの環境とは異なる場所に身を置きたいという願望は、「自分とは何者か」という問いが出発点だった。家元として次世代を継ぐのは、自分のみの力ではない。
自分の力で何かを試してみたい─。
だんだんと、女優業への思いが胸の中に膨らんでいった。
兄の翔は、役者を志していることを事前に聞くことはなかったと話す。
「妹が女優になると言いだしたとき、家族は突然のことで驚きました。母も役者でしたから、まったく想像がつかないということはありませんでしたが、『阿佐ヶ谷スパイダース』の劇団員になると知ったときのほうが驚きでした。しかも、劇団のメンバーは錚々たる人ばかり。やっていけるか心配でした」
何かを始める際、周囲を驚かせるのは進学のときも同じだが、女優業への憧れは、少しずつ、彼女の心に積み重なる将来の夢だった。
大学を卒業後、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』への出演はオーディションで勝ち取った。現在、爽子が所属する『阿佐ヶ谷スパイダース』も'18年の劇団員募集のオーディションで加入した。
阿佐ヶ谷スパイダースとは、長塚圭史が率いる劇団。長塚に加えて、中山祐一朗、伊達暁の3人による演劇プロデュースユニットとして、'96年に結成。現代劇からサスペンス、不条理劇などで人気を博し、'17年に劇団化した。
長塚は現在『KAAT神奈川芸術劇場』の芸術監督を務め、劇作家・演出家・俳優として日本の演劇シーンにおける重要人物のひとりだ。
劇団化によって、俳優だけでなく、スタッフや学生、主婦もメンバーに迎える阿佐ヶ谷スパイダースのスタンスに、爽子は強く惹かれた。
「最初は書類審査で、《匂いについて》という課題の作文を提出しました。父のタバコのにおいが嫌だなあ、みたいな内容。そこから何度か実技オーディションがあって、奇跡的に合格しました。そのころ芝居の仕事は、ほとんどしたことなかったですから」
舞台の稽古場では、時おり『シアターゲーム』が取り入れられる。互いの名前を呼びながらボール回しをする遊びのようなものだが、ヨーロッパの演劇の現場では、こういったゲームを用いて俳優同士のコミュニケーションを図ることが多々ある。主宰の長塚は英国での留学経験を活かし、そこで培った方法論を劇団でも応用している。
爽子はオーディションの場でカルチャーショックを覚えたという。
「このオーディション、落ちたとしても別にいいや。今がすごく楽しい!」
そんな思いで挑んだ結果、爽子は阿佐ヶ谷スパイダース入りを果たした。
『紫派藤間流』の家元を継ぐ予定であることは伏せたまま、劇団に応募書類を送った。長塚もオーディションの途中まで、爽子の履歴は詳しく把握していなかったようだ。
「日本舞踊をきちんとやっている人なのはわかりましたが、紫さんのお孫さんであることは、オーディションの最終局面まで知りませんでした。
だけど、やっぱり舞台に立って場数を踏んでいるのは、現場で伝わってきましたね。それなのに芝居は慣れておらず、あまり会ったことのないタイプ。未知数の魅力というか、原石のような光るものを感じました」
伝統的な日本舞踊と現代作家が主宰する小劇場の劇団。対照的な存在にとらえられがちだが、流派と劇団には共通点があった。みんなで席を囲み、食事をともにする。子どものころから門弟たちと文字どおり“同じ釜の飯”を食ってきたように、劇団でも稽古の休憩時は一緒に食事をとる。
劇団が白米を用意し、おのおのがおかずを持ち寄るといった具合だ。爽子が稽古場の炊事係を務めたこともあった。もっとも、現在は感染症対策によって稽古場での飲食はできなくなってしまった。
「紫派も“阿佐スパ”も、すごく家族的だなと感じるところが、とても似ているんです。けれども、それぞれは自立しています」
自宅にいるような居心地のよさと、ほどよい緊張感の共存する稽古場が、彼女の活動に相互的な刺激を与えているのだろう。