拍手が鳴りやまなかった襲名公演

 三代目藤間紫を襲名し、1年越しの披露公演が実現したのは、'22年1月30日。東京メトロ『半蔵門』駅から地上に出て、白い息を吐きながら『国立劇場』へと急ぐ。前をゆく着物姿の女性たちが、横並びで談笑しながら、巨大な建物の中に吸い込まれていく。

 歌舞伎公演や日本舞踊を催す大劇場は、2~3階を合わせると1600席以上を擁する国内屈指の大型ホールだ。皇居を囲む内堀通りに面し、真横には『最高裁判所』もそびえている。

 爽子は、襲名前から『国立劇場』の舞台でたびたび踊ってきた。桁外れに間口の広いステージで堂々と舞踊を披露してきた彼女にとっても、襲名披露公演では特別な緊張感に包まれていた。

「本番が近づくにつれて、舞台の夢ばかり見るんです。前日は眠れなくて、初めて寝酒に手を出しました。家にあった梅酒を一気に飲んだけど、結局一睡もできず、目がバキバキのまま楽屋入りしました(笑)。本番が終わった夜、ようやく熟睡できました」

襲名披露公演で『道行初音旅』を兄妹で踊った、初代藤間翔と三代目藤間紫  写真提供/紫派藤間流 藤間事務所
襲名披露公演で『道行初音旅』を兄妹で踊った、初代藤間翔と三代目藤間紫  写真提供/紫派藤間流 藤間事務所
【写真】襲名披露公演で『道行初音旅』を踊った、初代藤間翔と三代目藤間紫

 公演は昼夜2部制。1部のトリは『京鹿子娘道成寺』。爽子がメインで、ほぼ1人で45分間を演じる。女方舞踊の最高峰とされる本作は、「安珍・清姫」の悲恋物語をベースに、その後が描かれている。

 白拍子の花子が鐘供養に訪れ、舞を次々と踊るうちに、清姫の怨霊である蛇体となってしまう。ケレン味ある衣装替えもさることながら、恋心の変化を見せていくところが醍醐味だ。

「道成寺物」の代表的作品でもある。可憐さと色気がまじり合う少女のうつろいに、客席の拍手は鳴りやまなかった。

「清姫の執念をいかに見え隠れさせるか、そのバランスを保つのがむずかしかった」

 と、爽子は言うが、身体から発する磁力に引き込まれる。

『義経千本桜』の名シーンであり「吉野山」とも称される『道行初音旅』は第2部のトリ。翔との共演だ。静御前と家来の佐藤忠信の道行(旅の過程)で、忠信は狐の化身だとわかる。義経に思いを馳せる静御前、狐が化身して護衛する忠信の舞がスペクタクルに表現される演目だ。

 流派の踊り手が総勢40人以上も出演するなか、コロナ感染者を出すことなく、無事に公演を敢行。大仕事を終えたばかりの爽子は、胸を撫で下ろしていた。

 祖母の名を受け継いだ特別な公演であること、それを無事に開催すること。二重の不安がついてまわったという。

「上演中止のリスクもある時期に、本当に開催できるのか?踊りがきちんとできるのか?常に2つの課題がありました。劇場に足を運ぶことは、お客様にとっても不安要素ですよね。

 いろんな壁にぶち当たって、私は天国の祖母を思って踊り切ることだけに集中するよう考えを切り替えました。幕が開いたときは涙が出そうになりました」