夫役に挑んで兄の役を射止めた『おしん』
20代前半は演劇の情報を得るため劇団俳優座の映画部に仮所属し、オーディションを受ける日々が続く。すでに出演者が決まっている“出来レース”の現場に足を踏み入れ、心を打ち砕かれることもあった。
だが、25歳になった吉岡さんは平岩弓枝原作のNHKドラマ『御宿かわせみ』のオーディションに合格、ゲスト出演したことがきっかけとなってディレクターに気に入られ、同局のドラマに出演するようになる。
さらには、さだまさしさんの主演映画『翔べイカロスの翼』やテレビドラマ『特捜最前線』にも出演するなど、活躍の場を広げていく。そうしたなか、「正式に事務所に所属したほうがいい」とすすめられ、姉の伝手で俳優・伊藤榮子さんに相談することになった。
「私のお友達と当時、結婚していたのが祐ちゃんのお姉さんでした。その弟さんのことだったから相談に乗って、私がお世話した事務所に所属することになったんです」(伊藤さん)
1981年、NHK大河ドラマ『峠の群像』に出演した吉岡さんは、演出を担当していた小林平八郎さんから「朝ドラのオーディションへ行ってこい」と声をかけられた。どんな内容かも知らず会場へ行くと、多くの人が集まっている。売れっ子の役者もいたため「どうせ、もう決まっているんだろう」と腐りそうになったが、「小林さんから言われたんだし、とにかく思いっ切りやろう」と、3ページほどの台本をすぐに暗記した。
役名は竜三。「おしんさんは、いい人だな」というセリフがあった。─のちに社会現象にまでなった、NHK連続テレビ小説『おしん』のオーディションだった。
とにかくやり切った。ほかの人の演技を見ても、自分が勝ったと思った。しかし、結果はまさかの落選。
「竜三はおしんの夫で戦後に自殺する役なので、スタッフから“演技はよかったけど、とうてい自殺しそうにないから”と言われて。そうか、ダメだったか……と思った1週間後、“おしんの兄役をお願いできないか”という話が来たんです。想像もしていなかった、まさかの兄役ですよ!」
マリオンクレープの配送車でNHKへ行き、台本をもらったものの、「自分が出るところしかもらえないので、最初はどんな人物かわからず、手探りで無我夢中でやってました」という、おしんの兄・谷村庄治。山形の寒村の小作農家の長男で、選択の余地なく貧乏な家を継がされ、外の世界で生きるおしんに「おまえはいいな」と事あるごとにつらく当たる敵役だ。
セリフが長いことで有名な脚本家・橋田壽賀子さんの作品だったが、「僕は一人芝居もやっているから特に長いとは思わなかった」という吉岡さんは、方言指導のテープを聴き、山形弁のセリフを頭に叩き込んだ。
「最初の撮影は、製糸工場へ奉公に行った妹が結核で帰されてきたシーンでした。大声で“働かねえで銭ばっかし食うんだから!”とセリフを言ったら、父役の伊東四朗さんに“そんな大きな声でしゃべったら、病人が起きてしまうだろう”と言われて。でも、演出の小林さんに相談したら“おまえはそのままで行け!”と(笑)」
そんな吉岡さんと共演したのが、庄治の妻・とらを演じた山形県出身の俳優・渡辺えりさんだ。当時を振り返って渡辺さんはこう話す。
「おとらは当初、前半だけの出演予定だったんですが、橋田先生が気に入ってくださり後半まで出ることになったんです。田中裕子さんのおしんをいじめて、乙羽信子さんのおしんに謝りました(笑)」
渡辺さんが吉岡さんに抱いた第一印象は「暗い感じの個性的な演劇青年」だったそうだが、「演劇の話で気が合ったので、皆でよく飲みに行くようになりました。『おしん』の収録が夜中に終わって、演出家たちも含めて飲みに行って、芝居の話をして。でも翌日は皆、ちゃんと朝8時にスタジオに入っていましたね」
『おしん』は演技をするときに音楽も流して一緒に収録する「同録」だった。そのため芝居できる尺が決まっており、NGを出さないよう本番前、吉岡さんとNHKの廊下でよく一緒に稽古をしたという。
「吉岡くんは熊本の人だから、山形弁独特の“ん”の発音ができなくて、それをよく教えていましたね。泉ピン子さんら主役の方たちがたっぷりと演技をなさると時間が少なくなるから、吉岡くんと私でワーッと早口で演技をして収めましたが、かえっておもしろくできました」
撮影終了後、渡辺さんが「吉岡くんを想定して書いた」という役で舞台『小さな夜とはてなしの薔薇』で共演した。
「その後も吉岡くんをドラマなどで見かけて、キリッとしていて目に狂気がある、いい役者だなと思っていました」
また『おしん』では、吉岡さんを高く評価した演出家・望月良雄さんとの出会いもあった。望月さんはのちに、1990年放送のNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』に吉岡さんを抜擢している。
「望月さんは熱い人で、演技指導で“祐一、おまえならもっとできるだろ!”と言ってくる。こっちもやるしかないじゃないですか。何をしていいのかわからないけど、何度もやってると、違う自分が出てくるんですよ。そうすると大きな声で“OK”って。そうやって、僕の力を引き出してくれる方でした」