父のがん発覚で訪れたクレープ店開業の転機

 その後も役者とアルバイト、二足のわらじを履く生活は続く。所属事務所を辞めてフリーとなった35歳のとき、同じマリオンクレープで働いていた女性と結婚、子どもも2人できた。順風満帆と思われた役者業に陰りが見え始めたのは、バブルがはじけたあと、平成不況の時代に入ってからだ。

「強い事務所であったり、劇団の後ろ盾がある人は大丈夫でしたけど、役者個人でやっていくのがツラい時期で、食えない役者がどんどん増えていって。でもアルバイトをしながらなら、なんとか好きな芝居を続けていけたんです」

 ところが1997年1月、思いも寄らないことが起こる。熊本の父親が倒れたという連絡が入ったのだ。

「膵臓がんでした。それで僕はマリオンから1か月半の有給をもらって熊本へ行って、ありとあらゆる手を尽くしました。でも、大腿部に転移したがんがどうしても取れなくて……。12時間の予定の手術が2時間で終わったので、ああ、ダメだったんだなと」

 失意のうちに東京へ戻った吉岡さん。この先、熊本と東京を行き来する生活が続いて迷惑をかけるかもしれないうえ、長期休暇のこともあって居づらくなり、長年勤めたマリオンクレープを辞めてしまった。前出の演出家・望月さんから請われて、NHK連続テレビ小説『ひまわり』に出演したが、それだけでは食べていけない。役者は続けたい、でも……吉岡さんは悩んだ。

 失業保険をもらおうとハローワークにも出かけたが、「“父がまたいつ倒れるかわからないので、すぐに定職につけるか、わからないんです”と相談したら、職員さんから“これは職業を探している人のための保険だから、嘘でもいいから仕事を探していると言ってください”と言われて。だけど、どうしても、その嘘が言えなくて……」

 仕方なく家に帰ろうとすると、偶然通りがかった区役所で「中小企業基金による融資」の文字が目に飛び込んできた。

「受付で、どんな人が融資の対象なのか聞いたら“それ、僕です!”という内容で。父がいつ逝ってしまうかわからないから、自分で店を持ってやるしかないんです、クレープならうまく焼けるんです、と説明をして……。すると担当してくれた初老の男性が、“じゃあ、とにかく店をやれる場所を探しましょう”と言ってくれたんです」

 店を開く場所も見つかり、無事融資を受けられることになった。店名の『クレープリー シェルズ・レイ』を考えたのは、吉岡さんの妻だ。

「おもてなしの意味でかけるハワイのレイみたいに、お店に来てくれたお客さんにレイをかけるというのっていいなぁと思って主人に言ったら、いいね、と言ってくれて」

 吉岡さんが独立して店を出すことに、不安はなかったのだろうか?

「半分半分、ですね。子どもも2人いて、生活していかないといけない。役者だとそんなにもらえないし、この先、生活が厳しくなるだろうということもありましたから。主人もそうだったと思います」

 その年の10月26日、渋谷スペイン坂に店をオープンすることが決まった。熊本に報告の電話をすると、父親の面倒を見てくれていたおばが「お父さんね、おめでとうって言ったよ」と伝えてくれた。しかしそのわずか2日後、父親はこの世を去った。

吉岡さんが渋谷・スペイン坂で始めたクレープ店。オープン当初から行列が絶えなかった 写真提供/写真ナビ
吉岡さんが渋谷・スペイン坂で始めたクレープ店。オープン当初から行列が絶えなかった 写真提供/写真ナビ
【写真】オープン当初から行列が絶えなかった、吉岡祐一さんが渋谷・スペイン坂で始めたクレープ店

「28日の夜8時ごろに雨が降ってきて、漠然と“亡くなったな”と思ったら、姉から電話があって。翌日から店を閉めて、熊本へ帰りました。いちばん親父に苦労かけた僕だけが、立ち会えなかった。でも、親父のそばでひと晩中、ロウソクの火を絶やさない寝ずの番をやったら、心の重荷が少しだけ減りました」

 重い気持ちを引きずったまま帰京した吉岡さんは「この先、店をやっていけるのか」と心配したという。しかし、それは杞憂だった。すぐに行列ができる人気店となった。

「仕事が終わると身体中に乳酸がたまって、両手両足が動かないほど疲れて。でも休んじゃいけないと、正月以外は店を開けて働きました。忙しい中で父親を亡くした悲しみは癒えていきましたが、今度は忙しすぎて、芝居からだんだん離れていってしまって」

 侍に幕末の偉人、地上げ屋のヤクザから銀行員まで、ありとあらゆる役を演じてきた。だが、忙しさを理由に断るようになると、出演依頼は途切れがちになった。芝居を続けたいがために始めた店なのに、と吉岡さんは気を揉んだ。

「もう役者をやりたいという思いは頭の中から消さないといけないのかな、と。ただ、そんなときでも望月さんは“おまえは芝居なんだぞ”と言葉をかけてくれて、何かあると呼んでくれていたんです」

 店は忙しくなる一方だった。1999年、望月さんが演出したNHK時代劇『加賀百万石〜母と子の戦国サバイバル』で戦国武将の増田長盛役が最後の出演となった。だが、「役者をやりたい」という気持ちは絶やさず、埋み火として心の中で静かに燃やし続けよう……、吉岡さんはそう誓った。