「俳優・吉岡祐一」の顔を取り戻した夜
クレープ店が軌道に乗ると、役者への思いは再び熱を帯びるようになる。しかしすでに芝居と疎遠だった吉岡さんは、学生時代から付き合いのある、役者の友人に相談をした。
「もう1度、芝居をやりたいと思うんだと言ったら、彼にすっごい怒られて。悔しかった。その晩は泣きながら帰りましたね。俺が何のために東京へ出てきたと思っているんだよ、と……」
努力して役者を続けてきた友人の言うことも一理ある。だが、芝居を続けていくために開いた店が、まさか“諦め”のように受け取られるとは……。悔し涙で、埋み火が消えそうになった。でも、完全に断念することはできなかった。
「いつでも役者に復帰できるよう、ジムで鍛えて、走って、体形だけは維持し続けました。火を消しちゃいかん、という思いだけでしたね」
吉岡さんの妻も、一緒にテレビドラマなどを見ていると「自分だったらこう演じたいな」と言っていたのを覚えている。また時々、夫がポツリと「こんなことやるために東京に出てきたんじゃないんだよな」とこぼしている姿を見て、「本当は演じたいんだろうな」と感じていたという。
渡辺えりさんは、吉岡さんの噂を聞きつけ店を訪ねたり、街で偶然会ったりして飲みに行くこともあったが、「吉岡くんと会うと演劇や芝居の話をしていたし、情熱の濃い人だから、ずっと役者をやっていると思っていた」と驚く。
あわただしく切り盛りしていたスペイン坂の店だったが2005年、突然立ち退かねばならなくなった。そこから下北沢、幡ヶ谷、栃木県の那須へと移転、沖縄料理店なども手がけたが、2011年には東日本大震災の影響で那須から撤退。吉岡さんに残ったのは、2014年に手作りした現在の店舗だけとなった。
さらに追い打ちをかけるように、いつも気にかけてくれていた演出家・望月さんの訃報が届く。吉岡さん自身、60代になった。残されている時間は多くはないんだという思いが強くなり、役者をやりたい、芝居をやりたいという埋み火は火勢を増しつつあった。
吉岡さんは勇気を出して電話をかけた。その相手は、俳優の伊藤榮子さんだった。伊藤さんは言う。
「演劇って、芝居がうまいことも大事だけど、うまくても嫌だなと思う人もいるし、うまくなくても好きと思える人もいますよね。それって、その人の生き方が画面に出てしまうからなんですよ。普段のその人の生の部分が出る。まじめに生きている祐ちゃんなら、機会があればきっといい演技ができる。
だから日々の生活を守りつつ、自分なりに勉強してくれたらいいなと。役者に必要なのは集中力。いかにその人物になるか、ということ。祐ちゃんには、そんなことくらいしかアドバイスできなかったけれど」
2019年、NHK連続テレビ小説100作放送を記念して『おしん』の再放送がBSで始まり、初めてドラマを見た人たちが「おもしろい!」とネット上で盛り上がりを見せていた。そんな年のある日、吉岡さんは店へ来た客から、「人違いでしたらすみません、『おしん』に出ていた吉岡祐一さんではありませんか?」と声をかけられた。店で役者と気づかれたのは人生初のこと。戸惑いを隠せなかった。
話を聞いてみると、『おしん』好きが集まるトークイベント『おしんナイト』への出演依頼だった。役者として人前に出るのは約20年ぶり。吉岡さんは出るかどうか悩み、伊藤さんに再び電話をかけた。すると伊藤さんは、「祐ちゃんに、という話をいただけたことがいいじゃない。自分に好意を持ってくれる人は大事にしないと。人前に出られる、数少ないチャンスなんだから!」と背中を押した。
イベント当日、緊張で身体が震え、怖くて「帰りたい」と何度も思った。だが、ふたを開けてみれば、その夜は久々の興奮を味わった。人前に出て、拍手をもらう喜びを思い出したのだ。
吉岡さんと一緒に『おしんナイト』に登壇した、脚本家でドラァグクイーンのエスムラルダさんは、こう述懐する。
「最初はかなり緊張されていたんだけど、お客さんが笑ったり、リアクションするたびにどんどん目が輝いていって……。最後は完全に役者の顔に戻っていましたね」
消えかかっていた埋み火に薪がくべられ、真っ赤な炎が上がった。