「昨年の暮れに父は入院したんです。耳が遠くなって、自宅でふさぎ込むようになったんですが“このままでは歩けなくなるから”と長女が散歩をさせていたんです。それが散歩中に転倒してしまい、肋骨と右手を骨折してしまって」
これにより、新たな問題も起きた。
「以前から認知症の症状は少しずつ出ていたんですが、入院したことで進んでしまって。なので今後は介護付き老人ホームに入所する予定です。サポートがないと生活が難しい状態。もう、家には戻れないと思います」
明菜には連絡していないというが、これには複雑な事情がある。明菜とは年子の妹・明穂さんが2019年に病気で他界したときのこと。
「明穂が亡くなったときに連絡しましたが、葬儀には来てくれなかった。だから、父の話を聞いてもお見舞いには来ないんじゃないかな……」
静かにため息をつくと、こんな思いを続けた。
「明穂も1987年にデビューしてテレビに出るようになったのを、明菜は好ましく思っていなかったようで、関係が悪くなっていました。それまではすっごく仲がよかったんですが。明穂本人の希望もあって、遺骨は山に散骨しました。お墓はありませんが、せめて実家の仏壇には手を合わせてほしいです」
明菜が家族と距離を置いた理由
1995年、明菜の母親はがんで他界し、彼女は中森家の戸籍から自ら籍を抜いた。それから27年間、家族との関係は“断絶”したまま。なぜ明菜は、父親やきょうだいとも距離を置いたのか。
「明菜は、僕たちが彼女のお金を使い込んだと思っているんです。当時所属していた事務所の『研音』から税金対策で“お店を始めたらどうですか”と助言をいただいたんです。それでカラオケスナックを経営していましたが、明菜は私たちの給料に自分のお金が流れていると思っていたようで。実際は売り上げからごく普通の金額を給料としてもらっていただけなんです」