5月11日の朝、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが自宅で亡くなったという、あまりに唐突な訃報が飛び込んできた。
キャリアを重ねてもアツアツおでんや熱湯風呂など身体を張ったリアクションを続け、誰もが知っている“お約束”芸で、お茶の間だけでなく芸能界からも愛されていた。それだけに、身近な人たちは憔悴しきっている。
「上島さんに可愛がられていた有吉弘行さんは、訃報が届いた日に番組の収録がありました。本番こそ気丈に振る舞っていましたが、カメラが回っていないところではかなり落ち込んでいた様子でしたね。上島さんは亡くなる1週間前に、アイドルグループ『恵比寿マスカッツ』の5月25日のライブに出演することをYouTubeで予告していて、元気な姿を見せていたんですよ……」(スポーツ紙記者)
マネージャーや所属事務所の広報スタッフも、仕事関係者への対応ができないほどショックを受けているという。
デビュー当時は“あまり目立たない人”だった
亡くなる約2か月前、週刊女性のインタビューを受けていたが、担当者も「とても元気そうだった」と驚きを隠せない。
「相方の肥後克広さんと一緒の取材でしたが、朝ドラの撮影などで忙しかったのか、肥後さんのほうが元気がなかったぐらい。志村けんさんの話になると、“亡くなったのは悲しいし、自分も悩むこともあるけど、(相方)2人のおかげで困っていない”と感謝の言葉をのべていましたね」
ダチョウ倶楽部がブレイクしたきっかけは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)。同番組で放送作家を務めていた、江戸川大学の西条昇教授は当時をこう振り返る。
「ダチョウ倶楽部が4人組だったころは、脱退した南部虎弾さんが強烈なキャラだったこともあり、上島さんは“あまり目立たない人”という印象でした。今でこそリアクション芸のイメージが強いですが、当時は“ネタで勝負したい”と番組への出演を最初は断っていたんです」
同時期にデビューしたダウンタウンやウッチャンナンチャンが冠番組を持つようになったことで意識を変える。
「“仕事は何でも挑戦していったほうがいい”とスタンスを変え、身体を張ったバラエティー番組にも出演し、人気を獲得していきました。ものまねがきっかけで、'94年の日テレ系のドラマ『遠山金志郎美容室』で西田敏行さんの弟役として共演したときは、“夢が叶った”と大喜び。“西田さんにブラザーって呼ばれた”と自慢げに話していました」(西条教授)