近代日本の誕生に大きく貢献した武士・坂本龍馬。妻のお龍と霧島連山の主峰・高千穂峰に登頂した一連の行程が「日本初の新婚旅行」だといわれている。
鹿児島県霧島市役所のホームページにも『龍馬・お龍日本最初の新婚旅行地霧島市』と記載されているが、その実態はどのようなものだったのだろう。
新婚旅行の歴史
「坂本龍馬は伏見の寺田屋で幕吏の襲撃を受けた際に、薩摩藩邸に逃げ込みました。そのときに出会ったのが妻のお龍で、それがきっかけで仲が深まり結婚に至ります。その後、刀傷を癒す目的もあり、お龍とふたりで鹿児島へ旅をすることになりました。
現存する資料では、この旅行が厳密な意味で“日本最初の新婚旅行である”とは断言できませんが、日本の新婚旅行を考えるうえでのエピソードとしてはおもしろいですね」
そう教えてくれたのは、千葉商科大学でブライダルサービスを専門に研究している今井重男さん。それでは、日本における新婚旅行はいつぐらいから始まり、どのような変遷を遂げてきたのだろうか。
「明治維新以降、西洋文化を紹介する訳報のようなものが出てきたのですが、そのなかにハネムーンを意味する“ホネームーン”という語が散見されます。また、1889年(明治22年)5月3日の『東京日日新聞』において“新婚旅行”という言葉が日本で初めて掲載されています。
つまり、明治時代には新婚旅行という概念はすでに日本に入ってきていたわけですが、一般の間に新婚旅行が浸透するのは、まだまだ先のことですね」(今井さん、以下同)
明治期には鉄道網が徐々に整備されていたが、東京起点の新婚旅行は、神奈川県の江ノ島や逗子などの近場が主流だったようだ。ただし、それすらも一部の富裕層に限られており、新婚旅行自体はまだまだ物珍しいものだった。
「大正時代にはもう少し足を延ばせるようになり、熱海や箱根などの温泉地が人気だったようです。伊勢神宮への参拝なども定番のコースとなりましたが、やはりまだ一般的に普及したとはいえず、新婚旅行は上流階級以外には高嶺の花のようなものでした。
その後、昭和前期になってやっと新婚旅行の普及がうかがえるような資料が出てきます」
昭和に入ると、婦人向け雑誌に『新婚旅行の心得』といった記事が多く掲載されるようになった。このころの旅行先は近隣の温泉地だけでなく、伊豆・静岡周遊といったコースや、1週間以上をかけて京都や奈良まで足を運ぶプランなども登場している。
「ちょうどこの時期だと思いますが、私の祖父母の新婚旅行の写真も残っています。昭和2年に三重県伊勢市の二見浦にある名勝“夫婦岩”の前で撮ったものです。当時は恋愛結婚はまだ珍しく、お見合いで結ばれるケースが大半でした。
出発時は恥じらって顔を見合わせることもできないような夫婦が、旅行を経て徐々に打ち解けていく儀式のような意味合いが新婚旅行にはあったのでしょうね」