予想外の大ヒットに想像もしない日々が…

荻野目洋子や大竹しのぶ、チャットモンチーなどもカバーした、石井明美の『CHA-CHA-CHA』
荻野目洋子や大竹しのぶ、チャットモンチーなどもカバーした、石井明美の『CHA-CHA-CHA』
【写真】石井明美『CHA-CHA-CHA』懐かしのレコードジャケット

 予想外の大ヒットに、事務所スタッフはさぞ大喜びかと思いきや……。

「事務所トップの明菜さんを差し置いて、これはちょっと売れすぎだ、って言われて。できれば3位か4位くらいがちょうどよかったらしいんです(笑)。もちろん、明菜さんご本人はやさしく“がんばってね”っておっしゃってくれました。同い年なんですけど、大先輩。恐れ多い存在でしたね」

 とにもかくにも、想像もしなかった日々が始まることに。

「歌番組に出演すれば、当たり前ですけど周りは芸能人だらけ。テレビでしか見たことない人たちが目の前にいるなんて、なんだか他人事みたいでした。明菜さんの乗っていた社用車のトヨタ・クラウンをお下がりでいただいて、マネージャーの運転でテレビ局まで移動していましたね」

 同期の'86年デビュー組には、少年隊や西村知美、久保田利伸、小比類巻かほるらがいた。

「同じ番組に出ていてもリハの時間帯はバラバラだし、本番中もひな壇で少しあいさつするぐらい。仲良くなるヒマなんてなくて。週刊誌で見るような、“電話番号をこっそり渡して恋が生まれる……”なんてエピソードは一切なかったですね。少なくとも私は(笑)」

 結局、『CHA-CHA-CHA』は8月発売ながら1986年度の年間売上第1位を記録。日本中の誰もが知る曲となる。デビュー当時に念押しした「1曲限定」という希望も、もはや通用しないほどに売れてしまった。

「さすがに、この世界に骨をうずめる覚悟を決めました(笑)。でも最初にミリオンを出しちゃったから、2曲目以降はどうすればいいのかわからなくて。事務所にとっても私にとっても、プレッシャーでしたね」

『CHA-CHA-CHA』のイメージがあまりにも強烈で、その後はなかなかヒット曲に恵まれなかった。

「正直言って、もうこの歌を歌いたくないと思った時期もあります。もともとロックが好きだったから、全曲ロックのアルバムを作りたいって言ってみたり、テレビで歌うならカラオケじゃなくてバンドじゃなきゃいやだって言ってみたり(笑)。いろいろとわがままを言ったこともありました」

 その後、1990年に発売された8枚目のシングル『ランバダ』がスマッシュヒット。だがそれ以降は、結婚、出産、離婚を経て、しばらく歌から遠ざかっていた時期もあった。

「友人の雑貨屋でアルバイトをしていることが噂になり、“あの人は今”という企画でテレビ出演したこともありますよ(笑)」

 紆余曲折を経て、デビューから早35年。平成、令和と時代は移り、世は空前の昭和ブームだ。YouTubeの“歌ってみた”の投稿動画で、この曲をカバーする若者も多い。

「すごく難しい曲なのに、いろんな方がチャレンジしてくれてうれしいです。お酒を飲みつつ、楽しんで見てますよ(笑)」

 現在は、通信販売でおなじみの『夢グループ』が主催するコンサートで、全国を回る多忙な日々だ。

「葛城ユキさんや伊藤咲子さん、狩人さんなど錚々たる先輩方とご一緒させていただいています。いまだにね“有名人が目の前にいる!”って気持ちになっちゃうんです(笑)」

 伸びやかな歌声はいまも健在。名曲はいつまでも色あせない!

<取材・文/植木淳子>