家族のもとへ帰してあげたい―、その一心で遺骨を地中から捜し出し、歴史までも掘り起こす。具志堅隆松さんはボランティアとして40年近い歳月を捧げ、戦没者の声なき声に耳を傾けてきた。戦争につながる基地をつくるために、遺骨のまじった土砂を使わせるわけにはいかない。そう決意して開始したハンスト抗議には、世代を超えて、全国に支持や共感の声が広がっている。今も戦争の爪痕が色濃く残る沖縄で、東日本大震災の被災地・福島で、具志堅さんの活動を追った。
約40年、無数の戦没者遺骨を発掘
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表・具志堅隆松さんの話を初めて間近で聴いた場所は、米軍の新基地建設工事が強行される沖縄県名護市辺野古だった。もう7~8年も前の話である。
第2次安倍政権が新基地の「本体工事」着工を宣言したのが2014年7月1日で、それから間もないころ、筆者は頻繁に現地に通っていた。そんなある日の米海兵隊基地・キャンプシュワブのゲート前、具志堅さんは、新基地建設に反対する座り込み集会の場で、こう語り始めた。
「ここ(キャンプシュワブ)には、かつて(1945年当時)米軍の大浦崎収容所がつくられ、本部町、今帰仁村、伊江村の人たちが集められて生活していました。しかし環境が劣悪でマラリアなどもまん延し、300名以上の人が亡くなっています。遺骨はまだ、フェンスの向こうのアスファルトで固められた地面の下に眠っています。
私はその骨を掘り出してあげたいと思っています。遺族のもとへ帰してあげたいと願っています。ところが今、日米政府がやろうとしていることは、どうでしょうか。ここに新たな滑走路までつくって、そのコンクリートの下に遺骨を永久に閉じ込めようとしているんです。これは死者に対する冒涜です」
「ガマフヤー」を名乗る具志堅さんの存在は以前から知っていた。ガマフヤーとは、沖縄の言葉で“ガマを掘る人”の意味。沖縄戦では、ガマと呼ばれる自然洞窟に住民や兵士が逃げ込み、多くの人が命を落とした。28歳のころから遺骨収集のボランティアを始めた具志堅さんは、約40年も沖縄戦激戦地の南部地区を中心に、無数の戦没者遺骨を発掘してきたのだ。
例えば'09年、那覇新都心おもろまちに近い、かつて米軍が“ハーフムーン”と呼んだ激戦地の丘(那覇市真嘉比)で大規模な遺骨収集作業が行われたとき、その先頭に立っていたのも具志堅さんだ。日本兵を中心に100体以上もの遺骨が発掘・収集された。だが筆者は当時、その事実を報道によって知るのみだった。
そんな筆者も具志堅さんの存在を強く意識するようになったのは、実は、この辺野古ゲート前でのスピーチを聞いた日からだった。説得力に満ちた具志堅さんのその声は、耳の奥に残った。
「死者に対する冒涜です」
それから何年もの時が流れ、辺野古の新基地建設計画があらゆる観点から見て完全に間違いであるという確信は、さらに深まっている。
その理由は、県民投票や知事選などで、新基地建設への反対が再三示された「沖縄の民意」を政府が踏みにじり続けていること。軟弱地盤が発覚し、地盤改良のめども立たず完成するかもわからない杜撰な建設計画に、兆単位の税金が無駄遣いされようとしていること。そもそも希少生物が棲む世界に誇るべき宝の海を破壊しようとしていること等々、枚挙にいとまがない。
けれども、その新基地建設を絶対に許してはならない、との確信の「原点」はといえば、今思えば、「人道上の大問題」を具志堅さんが明確に教えてくれたことにあった。