亡くなる1か月前に「会ってほしい」
それにしても騒動の渦中は、本当に大変だった。その流行作家はハンサムで恋愛体質だったので、私以外にもいろいろな女性と浮名を流していた。そんな関係に結局疲れてしまい、私のほうから離れてしまった。
彼が亡くなる1か月前。共通の旧知の友人を通じて、突然、「彼が会いたいと言っている」という連絡を受けた。もう長くはないから最後に会いたいと。
その連絡に驚いた。ほんと、男性のほうが思い出を美化しがちだと思うわ。
あまりにも昔の話だしお断りしたのだけど「どうしても」と追伸が届く。どんな気持ちで会えばいいのかわからなかったけど、私は結局、銀座の割烹店で、約40年ぶりに彼と再会した。
何を話しただろう。あれから年月が離れたし、男と女とでは年月の重ね方も違う。日々、いろんな現実が過ぎ去っていく。流れていくから、いろいろなことも忘れてしまう。私と同じように彼も忘れているものだと思っていた。でも、彼は忘れていなかった。
以前、その流行作家の愛読者だった方が手紙で「今までで一番好きだった女性は誰ですか?」と尋ねたことがあったそうだ。彼は、私の名前を挙げ、「優しかった」と答えたという。
私が優しかった? さっぱりわからない。私は、その銀座の会食では、優しく振る舞うことができたのだろうか。当時の彼に対して、私は子どもっぽすぎたのか。思えば私は恋愛体質ではなく、40代で離婚した後は一切恋愛経験はない。恋愛という滑稽なことに余計な時間を取られたくないから。
私はひとりになりたくて、彼を残してお店を後にした。程なくして、名古屋のテレビ局で仕事をしているとき、彼の訃報がテレビで流れた。まだ70歳だった。私にとっても彼はいろいろな意味で忘れ得ぬ人だったと思う。
〈構成/我妻弘崇〉