「人間の心をなくしてた」
「こら、カス。ワレどこに目ぇつけて歩いとんじゃ!」
大みそかの夜のディスコでのこと。肩がぶつかった相手に、啖呵を切ったのが、すべての始まりだった。
「彼女連れだったから、イキがってたんです。相手は大人数でかかってきて、逆にボコボコにされて。あげく、その中の1人がヤクザで、慰謝料を出せって脅してきたんです」
鈴木さんは、ビルの裏のヤクザに相談し、あろうことか組に入れてほしいと頼んだという。
「解決策はいくらでもあったのに、若かったから対抗するには、自分もヤクザになるしかないと思ってしまったんです。人生を左右する重大な決断だなんて想像もしないで」
組から手を回し、脅してきた相手とはすぐに和解した。
恩恵を受けた鈴木さんは、18歳のときに組の一員となる。
半年ほどして、ヤクザの“証”も身体に刻んだ。
「事務所の電話の取り次ぎで親分に迷惑をかけたんです。兄貴分に“指つめて詫びんか!”と怒鳴られて、小指を落としました。入れ墨を彫ったのも同じころ。後悔はなかった。いっぱしのヤクザになったと満足していたほどです」
組のためなら命知らず。そんな資質が買われ、早くも20歳で若頭補佐に昇格した。
数年後、組同士の抗争が激しくなったときは、矢面に立って大暴れ。暴力行為と器物破損に、ひき逃げの罪も加わり、懲役2年の実刑を受けた。
「カーッと血が上ると容赦なく抗争相手を刺してました。幸い致命傷にはならなかったけど、人間の心なんかなくしてた。覚せい剤の売人をやりながら自分でも打ってね。体質に合わなくてすぐやめたけど、そうじゃなかったら、もっと人間じゃなくなってたでしょうね」
初めて刑務所に入ったことで、ようやく頭を冷やして身の振り方を考えられた。
「当時の女房が、何度も面会に来てくれてね。苦労して女手ひとつで子どもを育てる姿に、一度は反省しましたよ。このままじゃダメだって」
しかし、シャバに戻れば、元の木阿弥だった。
家庭を顧みず、結局、26歳で離婚した。
手に負えない放蕩息子に、父親は、「俺より早く死ぬような生き方はするな」と言葉少なに戒めた。かわいい孫と引き離された母親は、「バカだね」と涙をこぼした。
身近にいる大切な人を、ことごとく不幸にした。それでも、生き直せなかった。
「今思うと、私がヤクザになったのは自分の弱さをごまかすためだったんです。本当は情けないほど弱い人間だから、ヤクザの仮面をつけることで虚勢を張っていた。もうね、ヤクザじゃなくて、“役者”。カメレオンみたいに、無理して色を変えて、強い自分を演じてたんです」