情報発信の先駆者、丹野智文さんの存在も大きい。丹野さんは自動車販売店のトップセールスマンだった39歳のときに若年性アルツハイマー型認知症を発症。その直後から体験談を語る啓発活動をしている有名人だ。
「僕も認知症になってもまだまだ頑張れる、と勇気をもらいました。当事者の言葉には説得力がありますよね」
若年性認知症と診断された方の相談を下坂さんら当事者が受ける「ピアサポート」という活動を積極的に行うのも、自身のたどった不安な気持ちに少しでも寄り添えたらと思うから。当事者が声を上げることで、足りない支援の顔でいられたらいいな、そんな思いでシャッターを切っているのだと思います」
写真を発表するチャンスにも恵まれ、そこで講演する機会も増えてきた。作品の向こうに人がいる。
「まずはどんな人が撮ったんだろう、と興味を持ってもらえたらうれしいですね」
p.p1 {margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; font: 20.0px Helvetica} 認知症でもひとりの人間として接してほしい
講演の依頼を受けると「おひとりで来られますか?」「お迎えは?」と聞かれることも少なくない。
「もちろん悪気はなく、その人の持っている認知症に対するイメージから気遣っての言葉なのですが、認知症をひとくくりにしないでほしいと感じることも。人として個性もあり、症状の出方も進行のスピードもさまざまなので」
これは認知症の人だけでなく、ほかの障害者にも言えることだが、当事者がしてほしいと望むことをサポートする。これが大切だ。腫れ物に触るように接したり、先回りをしすぎた親切では、当事者を困惑させてしまうからだ。
「僕の場合、自分のいる場所がどこかわからなくなったり、バスを乗り間違えることはよくあります。そんなときはパニックを起こさないよう深呼吸で心を落ち着かせます。バスなら下車してその場所にとどまり、スマホの地図アプリで位置を確認します」
わからないときは近くの人に聞くが、みな親切にサポートしてくれると話す。
「目の前にいる人を認知症当事者という目で見ないで、ひとりの人間であるという意識で接してほしい。みんなが意識を変えれば、社会が変わる。社会的支援もその延長線上にあると思います」
休日は夫婦で静かに過ごす。「私のこと、まだわかる?」─妻の佳子さんが冗談めかして言う言葉は重く切ない。先のことはわからない。だから、いまの自分を精いっぱい生きる。笑顔でいられるように。
◆認知症当事者と暮らして思うこと
夫から病気を告げられたとき、「つらいのは私ではなく夫なのだ」と思えたので、比較的冷静に振る舞えたと思います。とはいえ心の中ではショックは大きかったですし、今後への心配事は尽きませんでした。
最初のころはどんな症状が出ているのか、本人に何度も聞いたりしていましたが、夫のやりたいようにさせてあげることが家族としていちばんのサポートになると感じています。
認知症の啓発活動のスケジュール管理もすべて本人任せ。活動が広がれば広がるほど元気になるので正直、夫の行動力には驚かされています。これからも夫と今の生活を楽しみたい。私たち夫婦なりの認知症との向き合い方をしていければと思います。
下坂 厚さん
1973年、京都生まれ。46歳で若年性認知症発症。現在は介護施設にケアワーカーとして勤務するかたわら、若年性認知症に関する情報を発信している。妻との共著に『記憶とつなぐ 若年性認知症と向き合う私たちのこと』(双葉社)。〔インスタグラム〕@atsushi_shimosaka
取材・文/栗田孝子