目次
Page 1
ー 何度も救われた妻の言葉
Page 2
ー 病が教えてくれた新たな生き方
Page 3
ー 努力と運でつかんだアナウンサーの道
Page 4
ー 波瀾万丈のフジテレビ局アナ時代
Page 5
ー 仕事に没頭しすぎて制服で出社!?
Page 6
ー フリーになった矢先のがんとの闘い
Page 7
ー 新しい自分を“全力”で生きていく

 報道や情報番組、バラエティーなどフジテレビのアナウンサーとして長年活躍を続けた笠井信輔さん。しかし'19 年、フリーアナウンサーへの転身を決意し会社を退職した直後にがんが見つかる。死をも覚悟した闘病生活、家族の支え、そして大病を克服し見つけた新しい自分とは……?

何度も救われた妻の言葉

 もしも、自分が「死」を覚悟するほどの苦しみを抱えたら、大切な家族とはどう向き合ったらいいのだろうか?笠井信輔さんなら“当事者”としての思いを語れる。

 血液のがんである「悪性リンパ腫」の診断が下ったのは3年前。それは、人生最悪のタイミングだった。

「アナウンサーとして32年間勤めたフジテレビを退職してフリーになった矢先、がんの告知を受けたんです。その日は、どうやって家に帰ったのか覚えていなくて。仕事はどうなる? 家族には何と言おうか? 何ひとつ冷静に考えられなかった」

 笠井さんは5人家族。妻の茅原ますみさん(58)はテレビ東京の元アナウンサー。3人の息子は、当時、長男が26歳の社会人、次男は大学4年生、三男は高校2年生。息子たちにはまだ話したくない。でも、妻には黙っているわけにはいかない。帰宅した笠井さんは、こう告げた。

「ごめんね、病気になっちゃった」

 ただ事ではないと、すぐにますみさんは気づく。

「泣いてたんですよね、涙がポロッと、これで終わりだっていう感じで。でも、この人は死なないと、私は直感的に思ったんです。だから悲しみを打ち消すように『大丈夫!』って」(ますみさん)

フリーアナウンサー笠井信輔さん 
フリーアナウンサー笠井信輔さん 

 妻の言葉に裏表がないことは、笠井さんが誰よりも知っている。これまでも、ますみさんの言葉に自分が何度救われてきたことか。

「全力で走っていて、つんのめりそうになると、必ず妻が手綱を引いてくれた。考えてみれば、僕の人生の肝心なところでのジャッジは、みんな妻がしているんですよ」

 夫のがん告知にも、ますみさんは冷静だった。落ち込む笠井さんにセカンドオピニオンを提案。悪性リンパ腫に詳しい医師を探して精密検査を受けると、がんの素性がわかった。

 病名は“びまん性大細胞型B細胞リンパ種”。ただ、病状は想像以上に深刻なものだった。

「PETというカラー画像診断の結果を見せてもらうと、全身のあちこちが黄色く光っていた。そのすべてががん細胞だと告げられたときは、オレ、死ぬのかなって……」

 がんの進行度はステージIV。しかも、予後(見通し)の悪いタイプ。重篤な病状だが、考えうる抗がん剤治療も示された。選択したのは通常よりも強い治療法。壮絶な入院治療は4か月半に及んだ。

 退院は'20年4月30日。その35日後に「完全寛解」の診断。がんは消えた。死も覚悟した大病を笠井さんは乗り越えた──。