この映画を見た、映画監督の稲津勝友さんもフィリピン女性の母親と日本人男性の父親を持つ。母親は興行ビザで入国。かつて、フィリピンパブで働いていた。

「小さいころは父親はトラックドライバーで、両親共に夜はいませんので、おばさんに預けられていました。一方で母親は過干渉でした。友達の家に泊まることは許されません。財布の中身をチェックされていました」(稲津さん、以下同)

 朝、学校へ行く時間に、寝不足な母親が時間もないなか、「宿題はやったの?」「勉強はしたの?」「友達とは何をしているの?」などと聞いてくる。無視したり、逆らうと父親が怖い。常に顔色をうかがっていた。

「4年生になると、母親を鬱陶しく感じ始めました。父親は短気で怒りっぽく、“昭和の人間”という感じ。逃げ場がなかった。毎日がケンカで、それ自体が親とのコミュニケーションでした」

 小中学生時代はゲイである自分を押し殺し、高校生のときには家出もしたことがある。

「高校生のときにやっと希望を見つけて、ダンススクールに行こうと思いました。しかし、両親とうまくいかず希望を消されてしまったんです。そのため、17歳のとき、統合失調症の診断を受け、精神科病院に医療保護入院をすることに。入院以降、両親の態度が変わって、関係が築けていけるようになったんです」

 ただ、フィリピン人と日本人のミックスルーツであること、精神疾患を持っていること、さらに同性愛者であることは生きづらさを増した。「自分は普通じゃない」と思い、20歳のとき、処方薬をウイスキーで過量服薬(OD)した。

 在日フィリピン人女性の孤立感や差別をケアするだけではなく、フィリピンとのミックスルーツの子どもたちの文化的疎外感もきちんとしたケアが必要。それには十分なサポート体制が不可欠だ。

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【写真】映画『世界は僕らに気づかない』葛藤を描いたワンシーン

(取材・文/渋井哲也)