東日本大地震・被災地の高校生と「コラボ」で支援
そして─大きな転機が訪れる。2011年3月11日。東日本一帯を大地震が襲った。仁藤さんはボランティアとして被災地に飛んだ。
そこでも仁藤さんは、ほかのボランティアとは趣の異なる手法で、地域に溶け込んでいく。
避難所以外で仁藤さんが「声かけ」したのは、各所に設けられた喫煙所だった。そこには、「助ける」ための対象としてはあまり見向きされることのない中高校生の姿があった。
「仁藤さんらしいところです。高齢者などには多くのボランティアが張り付くこともある。でも、高校生などの若者は、見落とされてしまいがちなんですよね。仁藤さんは、そうしたところに踏み込む。取りこぼされた人を“発見”するセンサーのようなものを持っているようにも感じるのです」(猪瀬さん)
喫煙所から高校生の世界に食い込んだ仁藤さんは、彼ら彼女らの要望を聞きながら人脈の輪を広げた。地元高校と製菓会社をつなげ、高校生たちと一緒に『たまげ大福だっちゃ』を商品開発。売り上げを支援金に回すなどして、地元では大きな注目を集めた。
この活動をきっかけに'11年5月、仲間と一緒にコラボを設立(その時点ではまだ任意団体)したのであった。
「本当に必要なのは困難な状況にある人とともに声を上げること。そこに軸足を置いたグループが必要だと思った」(仁藤さん)
それは、「支援してあげる」ことに自己満足を抱くことの多い大人たちへのアンチテーゼでもあった。
大学卒業後はコラボを法人化し、活動の舞台を繁華街に移していく。白い目で見られ、排除される盛り場の少女たちと「共に声を上げる」活動を続けるようになった。
「支援されてるって感覚を持たなくてすむ。それがすごく心地よかったんです」
そう話すのは時折、コラボでボランティアをしている、えまさん(25=仮名)だ。
8年前、コラボの存在をネットで知った。その日、えまさんは死のうと思っていた。家で虐待を受け、施設に入っていたが、そこも追い出されて行くあてがなかった。住む家もなく、先の見えない人生が苦しかった。
「誰かに頼られているわけでも、誰かを頼っているわけでもなかった。だから死のうと思ったんです。そんなときにコラボのことを知りました」《どうしてよいのかわかりません。首を吊って死のうと思っています》。そんな文面のメールを送った。
「何も期待していなかった。というか、一種の挑発、どうせあんたたちも私のことなんて救えないだろう、という感じでした」
自殺はそれまでにも何度か試みたことがあった。初めての経験は小学3年生のとき。母親が海外ルーツであることを理由にいじめを受け、学校の屋上から飛び降りようとしたところで先生に止められた。その年、将来の夢をテーマにした作文で、「いつか死にたい」と書いた。16歳のときには実際にマンションから飛び降りた。頭蓋骨骨折の大ケガを負ったが、奇跡的に命は助かった。
本当に死ぬことのできる日を、その覚悟の固まる日を、ひたすら待つだけの人生だった。
「生きていること自体が何かの罰なんだと、そう思っていたんです」死ぬ前の余興くらいの気持ちで、メールの返信に記されていたコラボの事務所を訪ねた。
そこで出会ったのが仁藤さんとコラボのスタッフたちだった。